和順支石墓群 화순 支돌 무덤군 ふぁすん 34.976142,126.93015 wikimapia  全羅南道map  

全羅南道和順郡道谷面孝山里
道谷面孝山里 / 春陽面大薪里 峠の両裾には10kmに約500基の支石墓 最近発見され保存状態が良い 南方型



  分布図をみると
南部地域に偏って分布
                
   海岸と川に沿って分布 するドルメン
北朝鮮 4,217基 11.7%  
江原道 412基    
京畿道 957基    
忠清北道  218基    
忠清南道 743基    
全羅北道 1,969基 5.5%  81.8%
全羅南道 22,560基  62.7%
慶尚北道 3,125基 13.3%
慶尚南道 1,660基
済州道 105基  
   35,966基    
浙江省に 40余基
遼寧省に 300余基
日本に 600余基
半島に 30,000余基
北方型はBC1600頃 遼東半島から吉林省南部に出現
BC8C-BC7C頃まで存続 furutasigaku.jp
二つの型式に直接的な進化関係は無いか
浙江省沿海地域と山東省にも分布
 


ドルメンの形態
 卓子型 ドルメン 탁자-식 고인돌  北方型 
祭壇モニュメント(大型はほぼ)    五徳型(北朝鮮) 石棚(中国)
兀型は南方にも
 碁盤型 ドルメン  바둑판-식 고인돌 南方型
大型のものは墓室がないことが多い 北朝鮮ではまだ発見されていない
 蓋石型 支石墓 개석-식 고인돌 南方型
地下の埋葬主体はで造作  無支石型 大石蓋墓
遼東半島にも
 囲石型 支石墓 위석-식 고인돌 南方型 埋葬主体が地上 済州型支石墓
卓子型 (兀型) 碁盤型ドルメン
南方型ドルメン
碁盤状蓋石支石墓
蓋石型支石墓
石棺型支石墓
地上石槨型支石墓
囲石型支石墓
済州型支石墓
卓子型ドルメン (石棚)   
北方型ドルメン (五徳型)

蓋石型支石墓

蓋石支石墓 )
墓として構築されたもので地下の埋葬主体を上石で蓋として覆った形式
地下に石で造作された石棺石槨囲石を備えるものが大半
遼東半島・朝鮮半島・九州・欧州に広く分布し最も一般的なドルメン
土壙+甕棺の組み合わせの九州のものも甕棺土壙蓋石支石墓でこのくくり
埋葬主体を備えた小型の碁盤型ドルメンもこのくくりで扱うのが良いだろう →碁盤状蓋石支石墓
  標石甕棺墓
  標石木棺墓  
上石が薄くなり支石が退化し埋葬部が土壙化し甕棺木棺との組み合わせになったもの
  箱式石棺墓竪穴式石槨墓への変貌の流れも容易に読み取れそう
  海の民の墓制とみられる西日本沿岸部できわめて優勢で独占的な広がりをみせる箱式石棺墓
特殊定型化された支石墓としての箱式石棺墓によって地域の支石墓のほぼ全数が置き替えられるといった
支石墓の列島的ユニークな進化例だろうか
地下式板石積石室
列島の蓋石支石墓



支石墓分布は すっぽりと対馬・壱岐地域が抜けている
●対馬・壱岐地域は響灘・周防灘周辺域と共通で箱式石棺墓が独占
支石墓甕棺墓は相性が良くて組み合わせになる例が多い
●列島における支石墓甕棺墓の分布域とはほぼ重なり合う
●この支石墓甕棺墓分布域と拮抗するのが
響灘・周防灘周辺域の箱式石棺墓分布域

須玖岡本D地点墳丘墓標石として上石を置いた標石甕棺墓
(蓋石支石墓)


吉武高木3号標石として上石を置いた標石木棺墓 (BC100頃)
●曽根丘陵先端の石ヶ崎支石墓は埋葬主体が組合式木棺支石墓

 

半島南方型支石墓の分布

●半島の支石墓は漢江を境に北方型と南方型に分かれる
●半島の漢江以南と九州北部と中国の江南に分布するものは南方型
●江華島に折衷型が存在する ( 出土例が希薄で進化途上の産物とは考えにくい )
●古い北方型が新しい南方型に進化したものとは考えにくい
●列島ではこの南方型が九州北半の長崎+佐賀+福岡+熊本に限って分布
           出雲地方に南方型支石墓がいくつかあるが かなり進化した型で
魏が漢江以南を討った時期に流民となった人が渡来して作ったものかもしれない
●半島の南方型支石墓はBC5世紀に始まる
句呉夫差勾践に敗れた時 (BC473) にも大量の難民流出 (自云太伯之後)
●九州北部と全羅南道に同時期に水稲を伴い支石墓が會稽東治を起点に到着した
●中国の江南の支石墓はBC1700年頃に始まったと言う
下部に甕棺が埋められているのは 九州北部の支石墓とそっくりだそうだ


 





 

曽根遺跡群 三雲石ヶ崎支石墓 33.543434,130.232849  支石墓   三雲  糸島水道  㚢界  全羅南道map  

石ヶ崎支石墓 平原女王墓のある曽根丘陵の先端 標高30m 福岡県糸島市三雲字石ヶ崎
※いくつかの系統差をもって
支石墓は列島に伝播されたものと考えたい
※三雲石ヶ崎支石墓碧玉管玉は大型品のみで構成され
   朝鮮半島西南部の麗水半島
禾長洞遺跡・平呂洞遺跡などの様相に類似している
※朝鮮半島で墓壙の深さによる地域性があることを考慮し
   三雲石ヶ崎支石墓の埋葬施設の深さが浅い点なども含めると
   洛東流域南部の支石墓とは差異があり,
   管玉の様相と同様に
麗水半島か より西の地域との関係が考えられる
※大型の管玉は朝鮮半島でも
階層の高い墓に入る傾向が認められるので
   この事例は階層構造を保った状態での移住を
示唆している可能性もある
※多くの日本の支石墓上石が1m程であるのに対し
   石ヶ崎支石墓上石の規模は 2m程の大きさをもっている
   その点においても階層が高い可能性を示す
  

麗川 禾長洞支石墓
여수 화장동 고인돌
34.778082,127.641502
麗水市 禾長洞
Yeosu, Hwajang-dong,
よすし ふぁじゃんどん
  
麗川 平呂洞支石墓
여수 평여동 고인돌
34.806642,127.682057
麗水市 平呂洞 山本町
Yeosu, Pyeongyeo-dong
よすし ぴょんよどん
麗水半島一帯で これまで発掘された琵琶形銅剣は16点に達し
中国遼寧省に劣らない集中度を示す
超大型の標石支石墓の標石のサイズは突出している
積良洞サンジョッ 標石支石墓 5.86 x 4.50 x 3.16m - 92t
月内洞サン村 標石支石墓 5.90 x 5.20 x 2.24m - 89t

 

麗水 積良洞 支石墓 여수 적량동 고인돌  34.844045,127.706757   全羅南道map  

麗水 積良洞 支石墓
전라남도 여수시 적량동
全羅南道 麗水市 積良洞      392
ちょるらなむど よすし じょくりゃんどん
Jeollanam-do,  Yeosu-si,  Jeokryang-dong
2009年
全羅南道麗水市上積村GSカルテックス工場内にある青銅器時代ナムバンシク支石墓 支石墓
麗水市積良洞は光陽湾南の霊鷲山(靈鷲山 510m)の北幹の狭小な谷に位置す
支石墓は谷との間のわずかに高いデジサンの扇状地に谷と反対方向に14基が無秩序に配置されていた
現在は 湖南省製油所が位置しており 支石墓がありあったのは 工場の南の道に隣接した区域である
麓の下の大地に位置積良洞支石墓は上石14基の調査を実施したが 4基のみ石室が確認された
それでも第7号だけ完全し 残りは破壊された状態であった

上石者は 通常 ドンソイ熱を成していた
そのうち5基は怪石型上石であり すべての大型支石が溜まりいるナムバンシク支石墓であった
完全な第7号支石墓は大支石6位怪石型上石が上げられているナムバンシクに石室はハルソクを3?4段程度積み
床はジャンジャガルが全面に敷かれていた
支石墓周りで石室26基混雑させて発見されるなど もともとは30基の支石墓が分布していた
この石室は板石で組み立てられた石棺型が3基 ハルソクを積んだり立て石槨型が23機であった
石室の混雑状態と方向 積石の状態で6つの区域に分けられる
これは積石がはっきりから個々の石室群に変化する過程を示している
石室は蓋石で覆われたものもあるが ほとんど破壊されたり妨げられたものが多く
元上石があったかはわからないが上石があったとしても 小型であったものと推定される
出土遺物は琵琶形銅剣7点 琵琶銅矛1点 管玉5点 石剣ワンヒョンが1点 ほう2点 ソクチョク3点
口ソクブ1点 有段ソクブ(顎手斧)1点 ドルクル2点 バンチュチャ1点 オクマ縁石1点のほか 無紋土器片と紅方がいます
第7号支石墓石室床面から出土したワンヒョンの琵琶形銅剣1点は これまで他の支石墓で編や切断された
すなわち 二次元用品が出土されているものとは別のものは非常に重要な意味を持っている
また 第2~1号石槨は破片が ワンヒョンと推定される琵琶形銅剣と琵琶銅矛は 小型管玉5点一括で出土した
特に 琵琶型銅矛が確実悠久で確認されたのは初めてで 最初の青銅遺物にとって非常に貴重な資料である
積良洞支石墓の連帯は 上限を 典型的な琵琶形銅剣に見西暦前8?7世紀に
下限を永遠ソクブと小型管玉に紀元前4世紀に設定することができる
しかし 中心連帯は西暦前6?4世紀前後した時期と推定される
積良洞支石墓で青銅遺物が8点や出土した
これらの例は 我が国では 唯一ではなく 遼寧地方の初期青銅遺物出土遺跡と比肩される
また 支石墓の副葬遺物で銅剣が使用されている点で
韓国の青銅器文化だけでなく 支石墓の研究にも重要な資料として評価される

 

麗水 月内洞 サン村 支石墓 여수 월내동 상촌 고인돌 34.844045,127.706757   全羅南道map  

全羅南道 麗水市 月内洞 サン村
Yeosu-si, Wolnae-dong,
     (左) 琵琶形銅剣 (434mm) 月内洞 サン村V遺跡116号支石墓出土 (最長)
(右) 琵琶形銅剣 (357mm) 月内洞 サン村U遺跡18号石室出土
故意に2・3片に破損して副葬
完品での出土は 扶余松菊里石棺墓と麗水積良洞7号支石墓出土に続くもの
 
1990年夏 国立光州博物館によって発掘
青銅器時代(紀元前4〜3世紀頃)

+磨製石剣+石鏃
+有溝石斧+ヤリガンナ+砥石+石棒+おろし金
+孔列土器+赤色磨研土器+突帯文土器
2009年
麗水国家産業団地(GSカルテックス工場)の拡張敷地内

支石墓遺跡5カ所を調査
支石墓と関連石室231+住居跡16
+琵琶形銅剣3(内完形2)+石剣13(内完形6)
+有溝石斧11 +二重口縁土器片
월내동 상촌 Ⅱ유적 18호 석실에
  積良洞支石墓と月内洞支石墓は西から東に向かって連なる支石墓遺跡群
2009年調査
積良洞 標石支石墓 超大型の上石 5.86 x 4.50 x 3.16m - 92t
月内洞サン村 標石支石墓 超大型の上石 5.90 x 5.20 x 2.24m - 89t
この2つの標石支石墓は墓群の片側に偏した独立した位置に立地し
象徴的な4つの支石をもつ碁盤式超大型支石墓で
他支石墓とは差別化されている
積良洞では住居跡5が伴い 築造や維持関連の住居と推定され
月内洞では大型住居跡1が伴い 祭祀に関わるものであった可能性が高い
前期住居が隣接する琵琶形銅剣出土地では二重口縁土器片が発見され
前期から築造され始め中期まで何百年もの間築造されたもののようだ
全羅南道 麗水市 積良洞サンジョッ(상적)
全羅南道 麗水市 月内洞 サン村(상촌)



 

高興 雲垈里 支石墓 고흥 운대리 고인돌 34.627930,127.323690 map.konest   全羅南道map  


琵琶形銅剣
全羅南道 高興郡 豆原面 雲垈里
1927年韓国初の琵琶形銅剣が出土
 



 

高敞支石墓群 35.448736,126.649834 photo    全羅南道map  

全羅北道 高敞郡 雅山面 (上甲里+竹林里+梅山里+松岩里) 一帯
約1,764メートルの範囲に442基の支石墓が群集 韓国最大の支石墓密集地域 北方型と南方型が混在




扶安亀岩里支石墓群 35.708138,126.654404 map

全羅北道 扶安郡 下西面

 
 

竹幕洞祭祀遺跡 35.636230,126.458984 map

全羅北道 扶安郡 辺山面 竹幕洞遺跡 画像

韓国の「沖ノ島」−竹幕洞祭祀遺跡
   全羅南道map  







江華支石墓群 37.773654,126.437308






国内の支石墓 LIST    福岡県内の支石墓





日本支石墓の調査現況と成果(pdf)








浙南石棚墓群 塘下鎮 沙涜村 27.840494,120.647734

浙江省 温州市 瑞安市 塘下鎮 沙涜村




浙南石棚墓群 龍頭山石棚墓群 27.618739,120.583074

浙江省 温州市平陽縣 鰲江鎮 龍頭山

浙江省,温州市,瑞安市,浙南石棚墓(支石墓の中国名)群
属于商周(紀元前1700-紀元前256年)時代墓葬
 
浙江省 温州市 瑞安市 塘下鎮 沙涜村
平陽縣 鰲江鎮 龍頭山
篁社鎮 棋盤山
蒼南縣 銭庫鎮 桐橋




浙南石棚墓群 棋盤山石棚墓群 27.766645,120.463203

浙江省 温州市 瑞安市 篁社鎮 棋盤山





浙南石棚墓群 桐橋石棚墓群 27.766645,120.463203

浙江省 温州市 瑞安市 銭庫鎮 桐橋









乳山縣 36.911831,121.519470

山東省の乳山縣で支石墓 山東省威海市乳山市乳山縣








海城析木石棚

遼寧省鞍山市海城市析木 海城析木石棚





石棚山石棚

遼寧省営口市蓋州市二台子農場石棚村
Shi Peng Cun, Gaizhou Shi,Yingkou Shi,Liaoning Sheng,中華人民共和国