ドルメンの形態
卓子型 ドルメン |
탁자-식 고인돌 |
北方型 |
祭壇やモニュメント(大型はほぼ) |
五徳型(北朝鮮) 石棚(中国) |
|
兀型は南方にも |
碁盤型 ドルメン |
바둑판-식 고인돌 |
南方型 |
大型のものは墓室がないことが多い |
北朝鮮ではまだ発見されていない |
|
蓋石型 支石墓 |
개석-식 고인돌 |
南方型 |
|
遼東半島にも |
囲石型 支石墓 |
위석-식 고인돌 |
南方型 |
埋葬主体が地上 |
済州型支石墓 |
|
蓋石型支石墓
( 蓋石支石墓 ) |
墓として構築されたもので地下の埋葬主体を上石で蓋として覆った形式
地下に石で造作された石棺・石槨・囲石を備えるものが大半
遼東半島・朝鮮半島・九州・欧州に広く分布し最も一般的なドルメン
土壙+甕棺の組み合わせの九州のものも甕棺土壙の蓋石支石墓でこのくくり
埋葬主体を備えた小型の碁盤型ドルメンもこのくくりで扱うのが良いだろう →碁盤状の蓋石支石墓 |
標石甕棺墓
標石木棺墓 |
上石が薄くなり支石が退化し埋葬部が土壙化し甕棺や木棺との組み合わせになったもの |
箱式石棺墓・竪穴式石槨墓への変貌の流れも容易に読み取れそう
※ |
|
海の民の墓制とみられる西日本沿岸部できわめて優勢で独占的な広がりをみせる箱式石棺墓は
特殊定型化された支石墓としての箱式石棺墓によって地域の支石墓のほぼ全数が置き替えられるといった
支石墓の列島的ユニークな進化例だろうか |
|
|
|
|
石ヶ崎支石墓 平原女王墓のある曽根丘陵の先端 標高30m 福岡県糸島市三雲字石ヶ崎
※いくつかの系統差をもって
支石墓は列島に伝播されたものと考えたい
※三雲石ヶ崎支石墓の碧玉管玉は大型品のみで構成され
朝鮮半島西南部の麗水半島の
禾長洞遺跡・平呂洞遺跡などの様相に類似している
※朝鮮半島で墓壙の深さによる地域性があることを考慮し
三雲石ヶ崎支石墓の埋葬施設の深さが浅い点なども含めると
洛東流域南部の支石墓とは差異があり,
管玉の様相と同様に
麗水半島か より西の地域との関係が考えられる
※大型の管玉は朝鮮半島でも
階層の高い墓に入る傾向が認められるので
この事例は階層構造を保った状態での移住を
示唆している可能性もある
※多くの日本の支石墓の上石が1m程であるのに対し
石ヶ崎支石墓の上石の規模は 2m程の大きさをもっている
その点においても階層が高い可能性を示す
|
|
|
|
麗水半島一帯で これまで発掘された琵琶形銅剣は16点に達し
中国遼寧省に劣らない集中度を示す
超大型の標石支石墓の標石のサイズは突出している
積良洞サンジョッ |
標石支石墓 |
5.86 x 4.50 x 3.16m - 92t |
月内洞サン村 |
標石支石墓 |
5.90 x 5.20 x 2.24m - 89t |
|
 |
|
麗水 積良洞 支石墓
전라남도 |
여수시 |
적량동 |
全羅南道 |
麗水市 |
積良洞 392 |
ちょるらなむど |
よすし |
じょくりゃんどん |
Jeollanam-do, |
Yeosu-si, |
Jeokryang-dong |
2009年 |
全羅南道麗水市上積村GSカルテックス工場内にある青銅器時代ナムバンシク支石墓
支石墓
麗水市積良洞は光陽湾南の霊鷲山(靈鷲山
510m)の北幹の狭小な谷に位置す
支石墓は谷との間のわずかに高いデジサンの扇状地に谷と反対方向に14基が無秩序に配置されていた
現在は 湖南省製油所が位置しており
支石墓がありあったのは
工場の南の道に隣接した区域である
麓の下の大地に位置積良洞支石墓は上石14基の調査を実施したが
4基のみ石室が確認された
それでも第7号だけ完全し
残りは破壊された状態であった
上石者は 通常 ドンソイ熱を成していた
そのうち5基は怪石型上石であり すべての大型支石が溜まりいるナムバンシク支石墓であった
完全な第7号支石墓は大支石6位怪石型上石が上げられているナムバンシクに石室はハルソクを3?4段程度積み
床はジャンジャガルが全面に敷かれていた
支石墓周りで石室26基混雑させて発見されるなど
もともとは30基の支石墓が分布していた
この石室は板石で組み立てられた石棺型が3基
ハルソクを積んだり立て石槨型が23機であった
石室の混雑状態と方向 積石の状態で6つの区域に分けられる
これは積石がはっきりから個々の石室群に変化する過程を示している
石室は蓋石で覆われたものもあるが ほとんど破壊されたり妨げられたものが多く
元上石があったかはわからないが上石があったとしても
小型であったものと推定される
出土遺物は琵琶形銅剣7点 琵琶銅矛1点 管玉5点
石剣ワンヒョンが1点 ほう2点 ソクチョク3点
口ソクブ1点 有段ソクブ(顎手斧)1点 ドルクル2点
バンチュチャ1点 オクマ縁石1点のほか 無紋土器片と紅方がいます
第7号支石墓石室床面から出土したワンヒョンの琵琶形銅剣1点は
これまで他の支石墓で編や切断された
すなわち 二次元用品が出土されているものとは別のものは非常に重要な意味を持っている
また 第2~1号石槨は破片が ワンヒョンと推定される琵琶形銅剣と琵琶銅矛は
小型管玉5点一括で出土した
特に 琵琶型銅矛が確実悠久で確認されたのは初めてで
最初の青銅遺物にとって非常に貴重な資料である
積良洞支石墓の連帯は 上限を 典型的な琵琶形銅剣に見西暦前8?7世紀に
下限を永遠ソクブと小型管玉に紀元前4世紀に設定することができる
しかし 中心連帯は西暦前6?4世紀前後した時期と推定される
積良洞支石墓で青銅遺物が8点や出土した
これらの例は 我が国では 唯一ではなく 遼寧地方の初期青銅遺物出土遺跡と比肩される
また 支石墓の副葬遺物で銅剣が使用されている点で
韓国の青銅器文化だけでなく 支石墓の研究にも重要な資料として評価される |
|
全羅南道 麗水市 月内洞 サン村
Yeosu-si, Wolnae-dong,
 |
|
(左) 琵琶形銅剣 (434mm) 月内洞 サン村V遺跡116号支石墓出土 (最長)
(右) 琵琶形銅剣 (357mm) 月内洞 サン村U遺跡18号石室出土
故意に2・3片に破損して副葬
完品での出土は 扶余松菊里石棺墓と麗水積良洞7号支石墓出土に続くもの |
|
|
|
積良洞支石墓と月内洞支石墓は西から東に向かって連なる支石墓遺跡群 |
2009年調査
積良洞 |
標石支石墓 |
超大型の上石 |
5.86 x 4.50 x 3.16m - 92t |
月内洞サン村 |
標石支石墓 |
超大型の上石 |
5.90 x 5.20 x 2.24m - 89t |
この2つの標石支石墓は墓群の片側に偏した独立した位置に立地し
象徴的な4つの支石をもつ碁盤式超大型支石墓で
他支石墓とは差別化されている
積良洞では住居跡5が伴い 築造や維持関連の住居と推定され
月内洞では大型住居跡1が伴い 祭祀に関わるものであった可能性が高い
前期住居が隣接する琵琶形銅剣出土地では二重口縁土器片が発見され
前期から築造され始め中期まで何百年もの間築造されたもののようだ |
全羅南道 麗水市 積良洞サンジョッ(상적)
全羅南道 麗水市 月内洞 サン村(상촌)
|
琵琶形銅剣
全羅南道 高興郡 豆原面
雲垈里
1927年韓国初の琵琶形銅剣が出土 |
|
 |
|
全羅北道 高敞郡 雅山面 (上甲里+竹林里+梅山里+松岩里)
一帯
約1,764メートルの範囲に442基の支石墓が群集 韓国最大の支石墓密集地域 北方型と南方型が混在
|
全羅南道map
  
日本支石墓の調査現況と成果(pdf)
|