御所市名柄 名柄遺跡 34.438725,135.712402 gsi wikimapia  多鈕鏡  半島  △33  大和 

奈良県御所市名柄字古大張 標高約180m 水越峠で河内側と分水して東流する水越川が谷口の名柄に形成した扇状地の水田に位置
大正7年 溜池造成工事中に
銅鐸(全高230mm)と多鈕細紋鏡(156mmφ)が一緒に出土
表土下70pのところに鏡が水平に置かれ
鏡から南へ約30pのところに銅鐸
外縁付鈕2式 格子紋横帯三段流水紋銅鐸 230mm
0.8798, 2.1716 (古式 II式)(外縁付菱環鈕式)
銅鐸銅材は漢式鏡主要分布域で漢代に産出した銅材
分かり易く言い直すと
平原の超大型鏡と同じブレンドの銅材
 
 
「弥生時代・前4〜前1世紀」とされているが疑問
九州から多鈕細紋鏡が消え 漢式鏡の副葬が始まる弥生中期後半(AD1C)がより妥当だろう
  鏡は小郡若山遺跡出土鏡と同型で2面の中間のサイズ
小郡若山 退蔵 153φ B型 二鈕 X期 福岡 小郡若山遺跡
小郡若山 退蔵 160φ B型 二鈕 X期
御所長柄 退蔵 156φ B型 二鈕 X期 奈良 御所市名柄
0.8598, 2.1336
多鈕細紋鏡殷周期のリサイクル材によるもの
この鏡は 扶余合松里遺跡 (BC2C中葉) 出土鏡と紋様構成が近似で
半島・列島と いずれも銅鐸との組み合わせで出土し
激しく使用され鈕孔が磨耗
しているそうである
多鈕細紋鏡+銅鐸+銅戈 はセットで九州から消え去っているかのようにみえる
弥生中期後半に関西に移動し
長期間使用された後
何等かのトラブルに伴い土中に隠蔽されたといったところが判りやすい説明だろうか
咸平草浦里#b 石槨墓 156φ B 二鈕 X 全羅南道咸平郡草浦里遺跡
横城講林里   162φ BU 二鈕 X 江原道横城郡講林面講林里
襄陽釘岩里   143φ BT 二鈕 W 江原道襄陽郡降峴面釘岩里
月城入室里   133φ B 破損 X 慶尚北道月城郡外東面入室里
小郡若山 退蔵 153φ B 二鈕 X 福岡小郡若山遺跡
小郡若山 退蔵 160φ B 二鈕 X 福岡小郡若山遺跡
御所長柄 退蔵 156φ B 二鈕 X 奈良御所市名柄字田中60



半島・北九州・山口での出土はほぼ副葬によるもの
小郡若山・大県高尾山・御所名柄が埋納によるものとされる
要するにこの3つの遺跡だけが仲間はずれ
埋められた原因を過去の人々の習性によるものだと理解することは
埋められた原因の歴史的な解釈を根っから放棄することに他ならない


 

大県遺跡/高尾山 (34.590855,135.640619) wikimapia  多鈕鏡  高地性    半島  △33 河内 

大阪府 柏原市 大字大県 小字切山 退蔵・隠蔽       大型多鈕細紋鏡(217φ) 0.8233, 2.0708
論山院南里出土鏡(212φ)と近似のサイズ       217φを超過する直径の多鈕細紋鏡は現在のところ見つかっていない
西に向かって大県遺跡を見下ろす高尾山から出土 2.5km南には海東鏡・新作徐州洛陽鏡出土の向井山茶臼塚
高地性集落 (34.592089,135.640759) 高尾山山頂遺跡 (弥生後期から古墳初期) 南斜面からの出土 
Pb分析値では殷周期のリサイクル材によるもの
隠蔽によるものだとすると3世紀の騒動で埋められたものかと
※粗紋鏡から細紋鏡への進化は石製鋳型から粘土鋳型への転換に負うもの
   石製鋳型では1mmに数本というブラッシュラインの実現はほぼ不可能と
 
 
大県/高尾山 退蔵 217φ AVa型 二鈕 W期 大阪 柏原市大県高尾山
咸平草浦里#a 標石木棺 178φ AVb型 二鈕 X期 韓国 全羅南道咸平郡草浦里
和順大谷里#2143号 標石木棺 180φ AWa型 二鈕 W期 韓国 全羅南道和順郡道谷面大谷里
論山院南里141号   212φ AWb型 二鈕 X期 韓国 忠清南道論山市城東面院南里


 

論山市 院南里遺跡 36.227577,127.036423  多鈕鏡  半島

忠清南道 論山市 城東面 院南里 多鈕細紋鏡(212φ) 韓国国宝第141号 13,300本の直線+100個を超える同心円



 

銅鐸と多鈕細紋鏡が一緒に出土

宇木汲田遺跡佐賀県唐津市宇木汲田銅鐸舌
名柄遺跡奈良県御所市名柄字田中外縁付鈕式(古式 II式)
   小銅鐸map       多鈕細紋鏡map      多鈕細紋鏡 List



 

小郡若山遺跡 33.403790,130.552261 1980年代末航空写真 色別標高図 wikimapia 多鈕鏡 半島  一括退蔵 楽浪土器出土地  local map

小郡若山遺跡は弥生中期から後期の遺跡 (BC100年以降)
多鈕細紋鏡 2面 (153,160mmφ) 集落跡から出土
ここが各種退蔵行為の始まった遺跡だろうと理解するようなむきもある
銅鏡の副葬が多鈕鏡から漢式鏡に切り替わる時代相に位置する
めのこで紀元前後からAD1C前半あたりを想定してもさほどはずれはないはず
小郡若山 退蔵 153φ B型 二鈕 X期 福岡 小郡若山遺跡
小郡若山 退蔵 160φ B型 二鈕 X期
御所長柄 退蔵 156φ B型 二鈕 X期 奈良 御所市名柄
 
戦いに敗れたムラ
敗れたムラの民は何処へ?
        形状が似ているような気がするが
植木鉢形土器
花盆形土器
楽浪土器
 平壌上里遺跡
 





 

社宮司遺跡 36.219990,138.476288 gsi  多鈕鏡  半島

長野県佐久市野沢原町社宮司
懸垂鏡1+ヒスイ勾玉1+鉄石英管玉15+碧玉管玉10+板状鉄斧1
懸垂鏡は長さ42mm 多鈕細紋鏡の破片を涙滴形に再加工