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金海市と昌原市の遺跡 他  嶺南map   慶尚道map   

         慶尚南道 kyosamnam-do         昌原市 Changwon, 金海市 Kimhae
 

 

鳳凰洞遺跡 ⊃ 金海会峴里貝塚 (金海貝塚) Hoehyeon-ri ふぇひょんり35.230439,128.876379 m.konest    金海式  弥生系  嶺南map top 

  158 Bonghwang-dong, Gimhae
158 鳳凰洞 金海市 慶尚南道
158 ぼんふぁんどん きめし きょんさんなむど

(BC100年頃)
弥生中期初頭に相当する 金海式甕棺3



日韓交流と渡来人 古墳時代前期以前 武末
 
Gusan-dong 亀山洞 亀旨峰
Daeseong-dong 大成洞(大城洞)
Seosang-dong 西上洞
Bonghwang-dong  鳳凰洞
Hoehyeon-dong 会賢洞
 
 
武器形青銅器副葬が始まる震源地だろう
列島側金海式甕棺遺跡とは同一文化圏
順王関係者の韓氏の入殖先がここなのか
 

赤色無文小形甕

浜田耕作+梅原末治(1922年)

1934年 年末の榧本の東の頂上部周辺の発掘で
支石墓1+石棺墓5+甕棺墓3+竪穴住居址+炉址+石の堤防
この甕棺3が後に金海式甕棺とされることになる
3号甕棺から碧玉管玉2+細形銅剣2+銅ヤリガンナ8が出土
 
梅原考古資料「金海邑会峴里」


 


鳳凰洞431番地遺跡 伽耶の森3号墓 35.234619,128.876826 (GimhaeFolkMuseum) 扇木棺墓  丸太木棺  銅戈  鉄戈     



 鉄戈形中細銅戈 (有樋) 

立岩34号墓出土品
「半島出土銅戈について」李陽洙
日本出土鉄戈と類似した形態:
金海伽耶の森3号墓出土品は
日本・立岩34号墓出土品と類似
立岩34号墓からは
異体字銘帯文鏡が出土するため
紀元前1世紀後葉の年代と推定される
↓↑
1世紀の最高権力者の墓
土壙木棺墓が金海の首長墓であった下限は
AD150頃で
良洞里162号墓を皮切りに木槨墓
切り替わり 土器も後期型瓦質に替わり
棒状鉄斧が登場する
漢式鏡の華夷同時期流行の仮説から
安易に三雲王墓をBC1Cと設定すると
立岩10号侯王墓も茶戸里1号墓も
BC1Cにズレ込むことにはなるが
これは文献史学上の根拠はまるでない
華の史書に登場する王とは
基本的には叙任される存在であり
史書の発注者側からすると建前上
帝に北面する官の最上級者たちのことである

   永川龍田里で出土した
新しいタイプの鉄戈
立岩#34出土鉄戈
おなじ系譜上にある
  431 Bonghwang-dong, Gimhae, Gyeongsangnam-do
431 鳳凰洞 金海市 慶尚南道
431 ぼんふぁんどん きめし きょんさんなむど


Gusan-dong 亀山洞 亀旨峰
Daeseong-dong 大成洞(大城洞)
Seosang-dong 西上洞
Bonghwang-dong  鳳凰洞
Hoehyeon-dong 会賢洞
   扇木棺墓

土壙+丸太木棺+腰坑 +扇2 +漆塗り鉄剣鞘1 +銅鏡1
鉄剣鞘は被葬者の胸のあたり その上に青銅鏡
扇2は顏と胸のあたりに配置

充填土からは
青銅製威信財+鉄製武器+農工具類+土器




pdf
  
260mm程度 格子目紋帯のみの 大阪湾型中細銅戈 a類 (発生期)



 
 

弥生系土器出土遺跡    嶺南map   慶尚道map    top   弥生系   

 04kouko2503.pdf | 29.pro.tok2.com/~kyokutan |
 a感恩浦鉄山35.749625,129.477710       慶州市陽北面 龍堂里 
 16達川遺跡 達川鉄山35.632370,129.304380住居(鉄鉱山)   須玖U  蔚山市北区 達川洞
17梅谷洞遺跡35.651291,129.365793住居  須玖Tor 須玖U  北区 梅谷洞
15北亭洞 梁山鉄山35.328010,129.028240古墳下層 城ノ越須玖T   梁山市北亭洞
14温泉洞遺跡35.214063,129.067857表採 弥生中期初  釜山市東莱区 温泉洞
4東莱貝塚 莱城遺跡35.197376,129.088736住居 城ノ越須玖T   東莱区 楽民洞
13東三洞貝塚 朝島貝塚 35.071238,129.07964  城ノ越須玖T須玖U  影島区 東三洞
12
北亭貝塚 pdf 
35.199668,128.914618   須玖T   江西区 江東洞
11池内洞甕棺墓(副葬)   須玖U  金海市池内洞
2亀山洞遺跡住居(板付Ub)板付Ub城ノ越須玖T須玖U高三潴下大隅亀山洞
3
大成洞焼成遺跡 pdf 
35.240315,128.881790土器焼成遺構 城ノ越須玖T   大成洞
9会峴里 (金海貝塚)35.230439,128.876379金海式甕棺墓板付Ub城ノ越須玖T須玖U高三潴 鳳凰洞
10興洞遺跡 住居? 城ノ越    興洞
b城山貝塚35.207895,128.679509      昌原市城山区 外洞
b三東洞遺跡35.227355,128.656135      義昌区 三東洞
7茶戸里遺跡35.299118,128.672106  須玖U  義昌区 東邑
5芳芝里遺跡35.063986,128.051074住居・貝塚 須玖T須玖U  南海郡
泗川市
芳芝里
1勒島遺跡34.923059,128.038473住居・貝塚 須玖T須玖U高三潴勒島洞
6東外洞遺跡34.973397,128.327721   下大隅固城郡固城邑 東外洞
8烟台島貝塚 葛島遺跡34.739468,128.399680表採  統営市山陽邑 烟谷里
16中山洞薬水遺跡   須玖T蔚山広域市北区中山洞
17新昌洞遺跡 35.194873,126.848909   須玖T光州広域市光山区新昌洞
18細田里遺跡     後期後半南原市松洞面細田里
19加平 大成里遺跡 37.683926,127.379688   下大隅加平郡清平面大成里
 弥生前期弥生中期弥生後期 


環朝鮮海峡における粘土帯土器の実年代 李昌煕 2009 (pp64-65)


 

亀山洞遺跡   弥生系   

  Gusan-dong, Gimhae, Gyeongsangnam-do
亀山洞 金海市 慶尚南道
くさんどん きめし きょんさんなむど

弥生前期から弥生後期の長期間に亘って弥生式土器が出土する唯一の遺跡


日韓交流と渡来人 古墳時代前期以前 武末
 
Gusan-dong亀山洞亀旨峰
Daeseong-dong大成洞(大城洞)
Seosang-dong西上洞
Bonghwang-dong 鳳凰洞
Hoehyeon-dong会賢洞
  

 

釜山東三洞貝塚 35.071238,129.079648 부산 동삼동 패총   弥生系        


釜山東三洞貝塚

   


 

金海 大成洞墳墓群 35.240292,128.873260 konest [(華夏系)弁辰 狗邪國+(先住)倭人 狗邪韓國](雑居)@三國志 / 金官 駕洛  中広形銅矛     嶺南map   top 

Gusan-dong亀山洞 亀旨峰
Daeseong-dong大成洞(大城洞)
Seosang-dong西上洞
Bonghwang-dong 鳳凰洞
Hoehyeon-dong会賢洞

 
金海 大成洞
金海市街西側の独立小丘陵上 墳墓遺跡 1990-92年発掘調査
木棺墓37 +木槨墓44 +石槨墓35 +甕棺墓14 +その他10 総計140の墳墓を確認
1〜7世紀の築造とされる
[国立歴史民俗博物館 国際シンポジウム] 古代東アジアにおける倭と加耶の交流
方形墳丘墓 +8m超木槨 +木棺 ほぼ消滅 金官伽耶王墓・王族墓・貴族墓
+逆L型方格規矩鏡+武具+馬具+鉄インゴット
+中広形銅矛+紡錘車+青銅帯鉤+4脚巴形銅器+筒形銅器
    
樂浪人阿殘東方人樂浪人本其(=)殘餘人
今有名之(=)爲秦韓
(=弁辰+辰韓) 合二十四國
大國四五千家 小國六七百家 總四五萬戸 其十二國(=辰韓)屬辰王
弁辰辰韓雜居
弁辰十二國亦有 其人形皆大 衣服巨エ 長髮
            亦作廣幅細布 法俗特嚴峻 (華夏系==(花弁)==)
又至竹斯國
又東至 其(=)人同於華夏 以爲夷州 疑不能明也
婆娑二十九年(155)八月 比只與多伐・草八作亂 命虹盧加樹討平之
比只太子宝日戰没 次子朱日自召文還 主和 其弟裔(首露)奔于金官
婆娑三十三年(158)十一月 加耶世主正見殂 子朱日立 自稱阿鼓今
(建安)四年(199)己卯三月二十三日而(首露)殂落 壽一百五十八歳矣 (79歳)(倍歴換算)
  『三國遺事』「駕洛國記
延優三年(199)
是年三月 <駕洛>主<首露>殂 <居登>立  『山上大帝紀
首露   (121-155-199)
十二年(259)
乙卯春正月 駕洛居登殂 麻品立 與其母慕貞来献土物  『中川大帝紀
居登(170頃-199-259)
召文→「按召文穢王之後」『阿達羅紀』→慶尚北道 義城郡 金城面→召文国景徳王陵

23号墓 逆L型方格規矩鏡
 88号墓の中広形銅矛

29号 47号の 両耳オルドス銅鍑        29号からはこの様式の柳葉形銅鏃も出土 *
88号の4脚巴形銅器(畿内の古墳からよく出る円錐平板化タイプ)91号の筒形銅器
大型の首長墓 上位階層の墳墓に集中副葬が大型古墳に限らない畿内地域と対照的
桜馬場から大成洞間の現物のスイジ貝からのデザイン的な大きな飛躍は大成洞で起こったのかもしれない

紡錘車+4脚巴形銅器+青銅帯鉤


247年に叙任を受けた不耐濊王をトップにする
濊人が運用する弁辰から郡に至る鉄の道上にある
弾琴台土城出土の鉄鋋 (41x15x310mm)

2号墓の 鉄斧機能を失った板状鉄斧=鉄鋋
(205-215mm)

原の辻遺跡  棒状鉄斧 

「諸市買皆用鐵 如中國用錢」
鍛造素材の頂点に位置する
棒状の板状鉄斧
 

●韓国では BC3世紀頃から四点セットが共伴するとされるが
   多鈕細紋鏡の発生期がBC3世紀後半前後だとすると
   この四点セット共伴期はBC2世紀までずれ込みそうだ
細形銅剣+鋳造鉄器+多鈕細紋鏡+鉛バリウムガラス
84号墓支石墓石蓋木棺墓
+(藍色+淡青緑色)ガラス環玉600
無紋土器時代
45号墓
大成洞墳墓群で最も早い時期の木槨墓
木槨墓 +棒状鉄斧+筒形銅器 8
3世紀前葉
5世紀前半
1号墓木槨墓6x2.3m +副槨 +棒状鉄斧3世紀前葉
47号墓+ 両耳銅鍑 
29号墓木槨墓丸太+4隅丸太柱+銅鏃+ 両耳銅鍑 
+鉄鏃+鉄刀+鉄刀子+板状鉄斧+土器
3世紀 (前)
39号墓木槨墓丸太 29号木槨を切り欠く +殉葬2
+筒形銅器 2
3世紀 (中葉)
4世紀後葉
88号墓木槨墓大型8m超  +木盾+箭筒+鉄鏃
 中広銅矛 の副葬 +銅鏃 +4脚巴形銅器12
350-375頃
倭系遺物
対馬・北部九州の広矛副葬期を勘案すると遅くとも3世紀第1四半期以前
15号墓
木槨墓3.75x2.20m+筒形銅器 1
4世紀前半
13号墓木槨墓大型 主槨5x2.4m +副槨 +盾2
+土器類+鉄器類+形石16 +巴形銅器 6
4世紀中葉
23号墓
木槨墓4.6x2.75m+(破片)巴形銅器 2
+方格規矩四神鏡1
4世紀中葉
2号墓木槨墓大型5.7x3.3m+墳丘 首長墓
+鉄製武器類+短甲+冑 +巴形銅器 1
+土器類多数+轡+鉄鋌100 +筒形銅器 2
4世紀後葉
18号墓
木槨墓 ? x1.86m+筒形銅器 2
11号墓
木槨墓5.1x2.65m虎形帶鉤1+筒形銅器 1
5世紀前葉
91号墓
木槨墓大型8m超+筒形銅器  
+金銅龍紋帯鉤+銅盆+銅碗 + 銅鍑 
+馬具(金銅辻金具+金銅馬鈴など)
(325-350頃)
慕容鮮卑系遺物

金海地方の木槨墓の終焉は新羅の国家形成がなされる4世紀後葉あたりか
73号墓竪穴式石槨墓(長8.2m) 王陵
+耳環+金銅山字形板台輪+立飾
+甲冑+小札鎧札甲+轡+鉄鏃+土器
(450-500頃)
板状鉄斧の中には棒状鉄斧と呼ばれる細長い形状の鉄斧がみられ嶺南の木槨墓で発見されている
T式刃部が大きく外反して開く型式2世紀中葉の・金海市良洞里162号墓
U式刃部が直線的に開き 厚さが薄い2世紀後葉の・蔚山市下垈44号墓
・慶州市舍羅里130号木棺墓
・原の辻八反地区2号旧河道U層
・須玖赤井出遺跡6号土坑他
広島梨ヶ谷1号墓
淡路島五斗長垣内
阿波矢野源田
神奈川海老名市河原口坊中遺跡
3世紀前葉の・金海市良洞里200号墓
・金海市大成洞45号墓
・金海市大成洞1号墓
・浦項市玉城里108号墓
V式全長が小さな型式2世紀後葉の・蔚山市中山里Z-8号墓
棒状鉄斧は2世紀中葉〜3世紀前葉に限定される遺物
特にU式の場合は2世紀後葉〜3世紀前葉という更に年代が絞り込まれる
 
 

 棒状鉄斧 の全長と厚さ

 T型の良洞里162号木槨墓出土の棒状鉄斧は厚さが突出して厚く正方形に近い断面を持つ




 
 

金海 良洞里墳墓群 [(華夏系)弁辰 狗邪國+(先住)倭人 狗邪韓國](雑居)@三國志 / 金官 駕洛 
35.222703,128.812231 wikimapia 양동리 유적   広形銅矛    嶺南map   top 

경상남도김해시주촌면양동리
慶尚南道金海市酒村面良洞里
きょんさんなむ-どきめ-しちゅちょん-みょんやんどん-り
Gyeongsangnam-do, Gimhae-si, Juchon-myeon, Yangdong-ri
1990〜92年 慶星大学校博物館による3次にわたる発掘調査で
(1〜7世紀) 計140基の墳墓を確認
木棺墓37+木槨墓44+石槨墓35+甕棺墓14+その他10
1990〜96年 東義大学校博物館による発掘調査で計501基の墳墓の調査
木棺墓8+木槨墓387+竪穴式石槨墓30+甕棺墓66+石棺墓1+その他9

主陵線上に構築された最高位層の墳墓木棺墓を主体とする墳墓群
弁韓時代木棺墓+木槨墓等39
三国時代石槨墓2
 
BC7〜6C以後 農耕+支石墓+無紋土器
BC2C     以後 銅剣+銅戈+鉄斧+黒陶長頸壺などを副葬する
西北韓系統の甕棺墓土壙木棺墓および細形銅剣  

木棺墓から長さ1760mmに達する漆塗
木材に木の皮を巻き表に漆を塗る
茶戸里の長1700mmの弓と近似

発掘状況からすると 3世紀前半以前の金海地方の文化的中心は酒村面良洞里で その後中心域が市内方面に移動する
(酒村面良洞里 →
大成洞墳墓群)
   以獻帝立安(建安)四年(199)
己卯三月二十三日而殂落
壽一百五十八歳矣 『三國遺事』 (→79歳)
   婆娑尼師今三十年(155)八月
比只與多伐・草八作亂 命虹盧加樹討平之
比只太子@宝日戰沒
次子A朱日自召文還主和
其弟B青裔(首露)奔于金官 『 婆娑尼師今紀
駕洛國元君金首露(121-155-199) (倍歴として補正すると79歳で没)
[中心域が市内方面に移動]したように見えるのは
2世紀後半に入ってすぐに金首露をボスとする勢力が良洞里に亡命
良洞里方面の在来勢力に受け入れられて良好な関係下に新しい製鉄技術を伝える
その後自立して金海市内方面に活動中心を移す
新羅史・駕洛史に取り込まれたこの人物は三國志魏書烏丸鮮卑東夷伝辰韓の条に
「弁辰(華辰)十二國亦有王 其人形皆大 衣服巨エ長髮 亦作廣幅細布 法俗特嚴峻」
と記された「弁辰(華辰)狗邪國」の王の先代にあたり
記紀の先祖がたりに取り込まれてその名を「八千矛」, 「大穴牟遲」で残す
これに先立つ多婆那出身の倭人の新羅王の「昔脱解」(71-102-125-130) は
「倭國王帥升」, 「建速須佐之男命」に相当し「委奴國王」の孫にあたる
辰韓の条の「弁辰狗邪國」王は叙任が景初2年12月の「率善校尉 都市牛利」で
記紀の先祖がたりに取り込まれてその名を「八重言代主」 母を「神屋楯比賣命」
駕洛史では「金居登」 259年の没とされている

「東方人名 我爲阿 謂樂浪人本其殘餘人」
とも表現される 樂浪人のことを阿残と称する樂浪からの渡来人の「阿」グループに属するボスで
「我」のことを「阿」と称する漢字使いをするこのグループは陳壽の鋭い観察記録によると
-- へんですねえ 漢字使いがなにやら秦人に似ていますね --
-- 燕齊のローカル漢字使いならわかり易いんだが なんと秦のローカル漢字使いなのですよ --
-- 「古之亡人避秦役 來適韓國」した時のは[燕・齊]の難民でしたからね --
-- なんたって[弁辰]のことを[秦韓]としゃれて言い換えちゃうひとがいるくらいですからね --
ルーツの一端が350年ほど前まで遡る扶蘇の子の有秩で
有秩は匈奴経由で朝鮮王準のもとへと亡命したところが時を移さずに「衞滿所攻奪」に遭遇
BC194年の「走入海居韓地」しなかったグループの子孫が楽浪の実質的な主の濊と同化しつつ
350年後に楽浪からいわば時計回りに嶺南に移動してきて金海に到着したのがAD155年
ちなみに韓氏を名乗った「走入海居韓地」した方のグループの子孫と係わり合いをもつのが
この弁辰王を受け入れた側の先住の良洞里に住まう民
であればこそ[倭地]に所在する[狗邪韓國]の[韓]は[韓氏]に由来する命名ということで
[倭地]に[狗邪韓國]がある理由をすんなりと説明することが可能化する
裏返して謂うと
半島に不在の韓王の末裔は金海式甕棺墓を拡散したグループと共に列島に渡来
BC100年頃に吉武高木の主に納まり込み
先住の三雲地区の女系首長族と共に後の奴國界を構築する核になった
朝鮮王準の姓が韓氏なのかとも思ったがこの系統が箕子の直系を称するのであれば
子姓または姫姓であるはず --- ところで[姫]と[姬]とは本来別文字
現代日本語のキャラクターセットで[姫氏]と記すも本来の表記は正確には[姬氏]
[臣智]の正規表記はあるいは[姬智]であるとすれば馬韓に居る辰王は[臣智或加優呼]とあるから
こちらのほうが朝鮮王の系譜との適合性はより大きい
こちらは俾彌呼の異称とおぼしきの[臣智人命]から三雲女王家の同族と推察される
[夫胥](扶蘇)子[有秩] 率其衆來歸[殷]
舍之[白提奚] 爲都[岐越] - 「契丹古伝」
侯準既僭號稱王 爲燕亡人衞滿所攻奪
將其左右宮人走入海居韓地 自號韓王

 

金海 良洞里55号木棺墓   (茶戸里1号木棺墓より後)   top 

木槨墓が出現する直前のステージの1C末〜2C初頭 (1C末〜2C中葉) ( 弥生中期末  弥生後期初 ) の土壙木棺墓
+鉄短剣+鉄矛+鍛造鉄斧+瓦質土器 +弥生小形仿製鏡 (9連弧紋鏡) 
    瓦質土器

 

金海 良洞里427号木棺墓  양동리427호  top top 

良洞里162号で 棒状鉄斧 を伴う木槨墓が出現する
それ以前の時期の木棺墓
AD2C前葉から中葉の遺跡だということになる

墓壙 (2.0x0.61m) +木棺直葬
+弥生小形仿製鏡 3 +銅剣 1+ガラス小玉

金海良洞古墳群と古代同アジア(pdf) | cache #search=427
 ●11連弧紋鏡(67φ)
●10連弧紋鏡(80φ)

 

シゲノダン
変形細形銅剣

 

金海 良洞里200号木槨墓他 広形銅矛 出土遺跡  top 

 良洞里90号 広形銅矛(850mm)
列島で 弥生後期前半 に盛行する広形銅矛
嶺南では金海地域に集中分布
中でも良洞里墳墓群の出土数が最多という


「棒状鉄斧が出土した良洞里200号墓では
北部九州製広形銅矛が2つに折られて副葬されていた」

金海良洞古墳群と古代同アジア(pdf) | cache #search=広形銅矛
#90木槨墓 中広形銅矛  3上層部からの出土 (封土に混入だろうか)
#200木槨墓 広形銅矛  22世紀後半代が想定される
#390木槨墓 広形銅矛  2出土状態等情報が不足

列島での広形銅矛は…… 魏志倭人伝の時代の奴国 - 矛形祭器を中心に -
国内で出土した銅矛は型式がわかるものだけで約480本(伝承を含めると600本余り)
その5割弱の230本が中広形銅矛 4割弱の180本が広形銅矛
広形銅矛のじつに半数にあたる90 本近くは 対馬で出土
国内での出土
480本(600本)
1割強(70本)    細形銅矛  + 中細形銅矛 
5割弱230本 中広形銅矛 
4割弱180本 広形銅矛 90本強対馬以外で出土
90本弱対馬で出土
金海での出土12点
中広形と広形銅矛は 対馬海峡をこえた慶尚南道の金海で出土している
その数は破片を含めると計12点にのぼる


 

金海 良洞里162号木槨墓   (良洞里55号木棺墓より後) (瓦質土器時代 : 2世紀後半〜3世紀) 棒状鉄斧   top top      

 2世紀中葉  / 2世紀後半の遺構 ( 弥生後期前半 ) 洛東江流域では最も早い時期の大形木槨墓墓壙4.94x3.44x1.23m +木槨3.88x2.80m
+銅鏡10 (漢式鏡 2 +弥生小形仿製鏡 8) +頸飾 新規に持ち込まれた墓制で侯王墓クラスの副葬品
多数の仿製鏡出土は須玖地域との繋がりを連想させる
+細形銅剣の進化した大形鉄剣 6 +大形鉄矛(600mm) +鉄矛多数
+木槨底四隅に 板状鉄斧 ( 棒状鉄斧 )を10枚ずつ束ねて副葬 
 出土した 瓦質土器 は土器形式上 最も早い段階の後期型瓦質土器
前期型の牛角形把手付壺+巾着袋形壺に代わり
             台付長頚壺+爐形土器(象形土器 모양토기) など 新しい形式の瓦質土器が副葬されている

素環頭大刀 512mm?

漢鏡とされるもの
弥生時代小形仿製鏡の生産体制論 pdf
蕨手飾銜 くつわ
頸飾
台付長頚壺 (後期型瓦質土器)


良洞里235号木槨墓 (瓦質土器時代 : 2世紀後半〜3世紀) top 

土壙7.60x3.90x1.16m +木槨5.40x3.20m 板状鉄斧を床に敷き詰め木槨を設置
+頸飾(ガラス+ヒスイ) + 銅鍑 



後期瓦質土器の登場 :  2世紀中葉 
瓦質土器時代 : 2世紀後半〜3世紀
登り窯で高温焼成した陶質土器の登場 : 3世紀末
瓦質土器と陶質土器が一緒に出土 : 3世紀末〜4世紀前半
古式陶質土器時代 : (4世紀〜)
o 良洞里78号木槨墓 土壙4.95x2.10x1.15m +木槨4.32x1.55x0.60m
o 良洞里349号木槨墓 
o 良洞里304号石槨墓 石槨主槨+木槨副槨
※ 三国時代の石槨墓では板甲(短甲)および冑 筒形銅器 と有刺利器などが出土
※ W-1号木槨墓 では 円筒形鉄器(152mm 鍛造品)円筒内部の短い鉄棒が揺らすと鳴る
      筒形銅器は 金海 大成洞遺跡
良洞里古墳
望徳里古墳
釜山福泉洞遺跡などで45点出土



322号  銅鼎(청동솥)銅鍑 
 

金海 良洞里墳墓群出土鏡   top top 

金海良洞里第162・427号 東義大学校博物館調査 94φ〜91φ
 


 尚方博局


釜山広域市立博物館所蔵 - 良洞里墳墓群出土鏡

N尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡205φ完形銘帯



貞柏里第127号墳 王光墓-●太山作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡198φ後漢太山作
貞柏里第122号墳尚方作-鋸歯紋縁方格規矩鳥紋鏡143φ
●無銘鋸歯紋縁円圏四神鏡153φ細線式獣形鏡
貞柏里第 59号墳●無銘鋸歯紋縁方格規矩四神鏡150φ
●無銘鋸歯紋縁方格規矩鳥紋鏡110φ
石巌里第194号墳 丙墳-尚方佳竟十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡182φ後漢尚方作
石巌里第   6号墳-●尚方御竟甚大好鋸歯紋縁方格規矩禽獣鏡155φ
石巌里第257号墳-●無銘複波紋縁方格規矩鳥紋鏡120φ
石厳里第205号墳 王盱墓-●℃q孫銘流雲紋縁七乳細線式獣帯鏡158φ
石巌里第200号墳 乙墳-尚方御□□毋傷名師作之流雲紋縁方格規矩四神鏡233φ 後漢習作?
-●上大山見仙人-流雲紋縁方格規矩四神鏡165φ
楽浪地区出土鏡105-0310-819尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡188φ
良洞里墳墓群N尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡205φ後漢尚方作
桜馬場遺跡01963尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡232φ後漢尚方作
井原鑓溝遺跡 6号木棺墓十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡186φ
井原鑓溝遺跡 9号甕棺墓01788尚方作-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡132φ
平原方形周溝墓#01尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡233φ後漢尚方作
#02尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡210φ
#03
#04
尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡209φ倭尚方作
尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡209φ倭尚方作
#05尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡184φ後漢尚方作
#06尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡185φ後漢尚方作
#07尚方作-流雲紋縁方格規矩四神鏡161φ倭尚方作
#08尚方作-流雲紋縁方格規矩四神鏡161φ倭尚方作
#09尚方作-流雲紋縁方格規矩四神鏡161φ倭尚方作
#18尚方作-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡161φ後漢尚方作
#19尚方佳竟十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡159φ
#20尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡185φ
#21尚方佳竟十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡205φ
#22尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡187φ後漢尚方作
#23尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡191φ
#24
#25
#26
尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡188φ倭尚方作
尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡188φ倭尚方作
尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡188φ後漢尚方作
#27尚方佳竟十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡151φ後漢尚方作
#28尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡186φ後漢尚方作
#29尚方佳竟十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡166φ
#30銘帯十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡189φ
#31-#39 ●陶氏作162φ-188φ鋸歯紋縁方格規矩四神鏡9面#38以外倭尚方作
#38陶氏作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡184φ金属素材:
前漢鏡主要分布域
#40●銘なし-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡120φ後漢尚方作
大和天神山尚・・十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡230φ後漢尚方作
01578尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡208φ後漢尚方作
01577尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡203φ後漢尚方作
尚方?-流雲紋縁方格規矩四神鏡139φ
01579尚方作-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡161φ
01581竟真大-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡158φ
三重多気 明和町斎宮地区06673尚方作十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡224φ後漢尚方作
愛媛松山 御幸寺山古墳01741尚方作-流雲紋縁方格規矩四神鏡142φ
石川羽咋 宿東山1号墳01282尚方作-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡179φ
石川加賀 分校カン山1号墳01283尚方作-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡164φ
福岡小倉南 高津尾遺跡●「・・大・・」-流雲紋縁方格規矩四神鏡145φ
福岡福津 桂百塚01854尚方作-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡181φ
福岡須玖 松添遺跡尚方作-鋸歯紋縁方格規矩四神鏡158φ
佐賀小城 寄居ST01古墳01957尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡177φ
佐賀神埼 横田遺跡 松原遺跡01948尚方作十二支鋸歯紋縁方格規矩四神鏡175φ
佐賀神埼 松葉遺跡 松葉丘陵遺跡01947尚方作-?方格規矩四神鏡147φ
奈良河合 佐味田宝塚●竟大□工・不明流雲紋縁方格規矩四神鏡223φ
福井三方 十善の森古墳不明不明流雲紋縁方格規矩四神鏡220φ
岐阜美濃 観音寺山●王氏昭竟亖夷服十二支流雲紋縁方格規矩四神鏡236φ後漢王氏作


良洞里 205φ

 伊勢明和町斎宮地区 224φ



御幸寺山古墳 142φ

楽浪地区出土鏡 188φ
105-0310-819
方格規矩鏡.map





 

昌原 茶戸里1号墓 茶戸里遺跡 (茶戶里)(다호리 유적 だほり) 画像 35.299118,128.672106 扇木棺墓 丸太木棺 有柄中細形銅剣 中細形銅矛  馬鈴 
  嶺南map   慶尚道map   top   弥生系    鉄戈  図    鉄矛   

韓国 慶尚南道 昌原市 義昌区 東邑 茶戸里の丘陵一帯に立地する原三国時代の墓地遺跡
(海抜約20m 低丘陵麓 長さ150m 幅30〜40m)1986年に韓国国立中央博物館が調査 木棺墓を主体とする墳墓群
(@丘陵下端部平地の木棺墓(72基) + A丘陵末端の小型石棺墓 + B丘陵中間と頂上の大型石棺墓竪穴式石槨墓)で
その規模・形態・内容等から3類に分けられる 第I類は大型の土壙の底に副葬壙 を伴う
1号土壙木棺墓丸太木棺(刳抜式)+鉄剣+板状鉄斧(2種類の木製柄を着裝したものを含む)+木製合子
+ガラス玉 +漆扇2 (扇木棺墓 として +金海鳳凰洞+他 )+辰砂 東枕
棺下部副葬壙
漆塗竹籠
+鉄剣+鉄矛+鉄戈+鋳造鉄斧+鍛造鉄斧+板状鉄斧+鉄タビ(따비)+素環頭刀子
+漆塗有柄中細形銅剣(602mm)(吉野ヶ里有柄細形銅剣と同形)
+漆塗長弓(1,700×30mm)1+漆塗短弓3+矢柄束+漆塗 --は現地産--
+円環銅釧+ 馬鈴 +青銅帯鉤61mm+中細形銅矛(552mm)+五銖銭3+星雲紋鏡1
+木製盆+出土祭器から(栗+柿+鳩麦)
 


漆塗
短弓矢

漆塗有柄中細形銅剣(602mm)(吉野ヶ里と同形)
茶戸里1号墓のような鉄斧機能を失っていない板状鉄斧の出土地としては
      咸鏡北道茂山虎谷遺跡 黄海北道葛峴里遺跡 慶州の入室里九政洞遺跡(良洞里になると10枚単位で括って出土)
木棺墓#4で雲母 木棺墓#35では東枕頭部に雲母を埋葬
※39号墓から出た弥生系土器は須玖U式に分類されている (須玖II式 新段階) (弥生中期末) (AD1C末〜AD2C初)
※ 1 号墓は星雲紋鏡出土から 三雲南小路#2甕棺墓 吉武樋渡#62甕棺墓と同期するAD1C それも南小路に近い後半か
鉄戈
 



有柄中細形銅剣 +鉄矛+中細形銅矛                 

(57号墓)長頸壺+豆形土器
素環頭刀子+馬鈴 +青銅帯鉤61mm(右上) 

+穿上横文 五銖銭 1
+四角決文 五銖銭 1
+無特徴 五銖銭 1
  
蕨手飾
楽浪石巌里第9号墳渭原龍淵洞積石塚
  漆塗
 

扇木棺墓 2面の扇で死体の顔を隠す
  1. 忠清北道 忠州市 虎岩洞 丸太木棺墓
  2. 慶尚北道 星州郡 星州邑 礼山里 40号丸太木棺墓
  3. 慶尚北道 慶山市 押梁面 新垈里 80号丸太木棺墓
  4. 慶尚北道 慶山市 押梁面 新垈里 94号丸太木棺墓
  5. 慶尚北道 慶山市 河陽邑 陽地里 6号丸太木棺墓
  6. 慶尚北道 慶州市 塔洞 組合式木棺墓
  7. 慶尚南道 昌原市 義昌区 東邑 茶戸里 1号丸太木棺墓
  8. 慶尚南道 金海市 鳳凰洞 丸太木棺墓

時代相
  1. 至王莽地皇時(AD20-23)廉斯鑡爲辰韓右渠帥
    表鑡功義 賜冠乍幘田宅 - 『三國志』韓傳(魚豢)魏略曰
  2. 韓人廉斯人蘇馬諟等詣樂浪貢獻
    光武(在位25-57)封蘇馬諟爲漢廉斯邑君 使屬樂浪郡 四時朝謁 - 『後漢書』東夷傳
  3. 建武中元二年(57) 倭奴國奉貢朝賀
    使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 - 『後漢書』東夷傳

有柄中細形銅剣出土地
@三雲南小路遺跡1号甕棺515mm福岡県前原市
A柏崎遺跡甕棺464mm佐賀県唐津市
B吉野ヶ里遺跡墳丘墓甕棺445mm佐賀県神埼郡
C王屋敷遺跡 油谷向津具439mm山口県長門市油谷
D茶戸里1号墓602mm慶尚南道昌原市
星雲紋鏡出土地
茶戸里1号墓--φ慶尚南道義昌郡
密陽校洞遺跡98.5φ慶尚南道密陽市
三雲南小路#2甕棺墓74φ福岡県糸島市
吉武樋渡#62甕棺墓83φ福岡市西区
二日市峰畑遺跡103φ福岡県筑紫野市
須玖岡本遺跡165φ福岡県春日市
156φ
156φ
156φ
破片
御殿山古墳123φ群馬県前橋市
cf.) 慶州 朝陽洞38号木棺墓
家常貴富鏡 78φ

家常貴富鏡 119号木棺墓出土鏡
越境” する文化


これを改造拡充改変
 李昌煕 2009



 

密陽市 校洞遺跡 밀양 교동 유적 35.505626,128.745143  丸太木棺     嶺南map   慶尚道map   top 


異體字銘帯鏡(昭明鏡)

T字型鉄器
 1121-3 Gyo-dong, Miryang-si, Gyeongsangnam-do
慶尚南道 密陽市 校洞 1121-3
キョンサン南道 ミリャン市 キョドン
BC1C-AD1C前後の木棺墓群
2001-2年調査
市総合体育施設建設工事に伴う調査
木棺墓22基を確認

星雲紋鏡1+異體字銘帯鏡1+細形銅剣
+土器類+鉄器類
など計170点に及ぶ豊富な出土
墓群は主軸を東-西方向に配置し
互いに一定間隔を置いて配置

3号 丸太木棺墓墓壙 2.56×0.89×0.50m
17号 丸太木棺墓墓壙 1.94×0.85×1.04m
BC1C中〜後とされているが
茶戸里#1と同期するのが密陽校洞#3
それに続く密陽校洞#17
塔洞#94朝陽洞#38三雲奴國王墓と同期する
AD1C後葉の遺跡だろう
 
#3星雲紋鏡(棺外)98.5φ(+土器5+T字型鉄器等8)→茶戸里
+鉄剣+板状鉄斧+鉄鎌+鉄斧+異形鉄器+銅製品+土器類
#17連弧紋銘帯鏡(棺内)102φ(+土製品6+土器7+漆製品2)→朝陽洞, 三雲#1
(昭明鏡)「内C質以昭明 光輝象而夫日月 心忽揚而願忠 然壅塞而不泄」
+銅製品+円形土製品+算盤形土製品+土器類+樹皮

 
瓦質土器


 

昌原 三東洞遺跡 삼동동 유적 창원 삼동동 유적 35.227663,128.661199 konest    弥生系    top  嶺南map   top 

慶尚南道 昌原市 義昌区 三東洞 Samdong-dong, Uichang-gu, Gyeongsangnam-do 昌原三東洞遺跡
伽耶地域では異色的に昌原の三東洞遺跡は甕棺墓に偏し甕のサイズも大形(他遺跡の甕棺は小形で大部分が幼兒を埋葬)
道項・末山里*西上洞南山*茶戸里*良洞里*大成洞*
架浦洞遺跡*内洞貝山*三東洞*外洞貝塚*城山貝塚*上南支石墓群*加音丁洞*
  2号石棺墓+銅鏃3-4C
18号甕棺墓+内行花紋鏡13-4C
雨耳附短頸壺
原の辻 半島系土器
六弧内行花紋鏡 1982発掘



 

昌原 城山貝塚  창원 성산 패총    弥生系   銅釧  嶺南map   top 

昌原盆地内には 内洞貝山加音丁洞貝山 他の貝塚

慶尚南道 昌原市 城山区
三国時代の城郭 新羅土器の出る城壁
初期鉄器時代の大規模貝塚 五銖錢 紀元前後からAD5C頃
土器類+骨角器類+鉄器類+石器類+冶鉄址

(チョガビ層下部) 無紋土器と磨製石器

昌原-城山貝塚 Seongsan Shell Mound
+後期無紋土器+古式硬質土器+硬質土器
+紡錘車+網重り+水晶勾玉
+骨角器(手刀柄+鏃+槍+針)
+弓張月石刀+斧+石棒+砥石



昌原 西上洞南山창원 서상동 남산 
昌原 内洞貝塚창원 내동 패총 
昌原 外洞貝塚창원 외동 패총 
昌原 上南支石墓群창원 상남 지석묘군 
昌原 加音丁洞遺跡창원 가음정동 유적支石墓+青銅器時代住居+貝塚+古墳群+水田址


 

昌原 架浦洞遺跡 加浦洞遺跡 35.164288,128.571554 창원 가포동 유적 銅戈    嶺南map 慶尚道map top 

慶尚南道昌原市馬山合浦区 架浦洞
きょんさんなむ-どちゃんうおん-し まさなっぽ-ぐがぽ-どん
Gyeongsangnam-do, Changwon-si,Masanhappo-gu, Gapo-dong

1998年出土 埋納遺跡 (退蔵遺跡?) + 細形銅剣 1+ 細形銅矛1+ 細形銅戈 1+ 銅釶 1 多種の 武器形青銅器 を岩陰に一括退蔵
鴎峰(カルマ)(海抜200m)東側 25度ほど 急傾斜面 海抜23m 3期新段階 ( 弥生中期前半 併行) (→BC1C) が中心年代 -- 武末
遺物の様式はBC1Cと古くとも この埋納遺跡が退蔵遺跡だとすると 埋められたのは副葬鏡式の切り替わるAD1C前葉あたりのことだろうか




東外洞




 

泗川 勒島遺跡 사천 늑도 유적 34.9229211,128.0390024
 弥生系  楽浪土器出土地   半島MapMenu  嶺南map    慶尚道map  

慶尚南道 泗川市 勒島洞
きょんさんなむど さちょんし ぬくどどん

初期鉄器時代の国際貿易港としての勒島
金海方面から西に向かう鉄のルート上の貿易拠点
金海式甕棺期に端を発し
金海木槨墓成立期までを中心帯として栄え
西新成立期に命脈を絶つ
三角形粘土帯土器の出現期から終末期を経て
軟質土器期に至る遺跡
花盆形土器系の楽浪土器の出土もある
弥生式土器か伴出することから
粘土帯土器の編年に北部九州の土器編年が使用されている