神埼+三根+養父+基肄+鳥栖 の遺跡



 

二子・山崎遺跡 (33.327214,130.358042)    鉄戈   図       肥前南東

佐賀県神埼市城原二子
鉄戈 1


 

川寄吉原遺跡 33.322222,130.364972  銅戈    土鐸    肥前南東

川寄吉原遺跡
佐賀県神埼市神埼町竹字吉原
集落-弥生後期前半-掘立柱建物19+井戸8+周溝1(円形)+溝3
銅鏃1+鐸形土製品1+土器(甕+壺+高杯+鉢+器台)+土製品
+石器(石庖丁+磨製石斧)+木製品(鍬+杵+鎌(柄)
+斧の柄+大足+棒状具+杭)+動物遺存体(獣骨)
   焼き上げられた土鐸に描かれた「戈をもつ人」

 

二塚山遺跡 33.343597,130.413834 1970年代航空写真 金海式     肥前南東


 

天神遺跡 てんじん 33.337694,130.437306 1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia    肥前南東

佐賀県三養基郡みやき町大字原古賀字天神・前田・一本柳
包含地 墳墓 弥生 - 溝+土坑
弥生小形仿製鏡 重圏紋日光銘鏡系45φ重T型b類銘文なし 完形 1977年出土 県教委蔵・県博保管
中〜後期 - 弥生土器(甕+壺+高杯+椀 )

 

石動四本松遺跡 いしなり33.350811,130.406555 1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia    肥前南東

 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町石動字四本松
石動四本松遺跡
縄紋〜平安時代の複合遺跡
弥生時代の墳墓として
甕棺墓+木棺墓+土壙墓 +石棺墓など
弥生時代後期のものと思われる
SJ032甕棺墓は後期前半の単棺
棺外口縁付近 +連弧紋銘帯鏡(昭明鏡)1(126φ)銘帯 (破砕鏡)
「内而青而以而昭而明而光而象而日而月而夫而」
棺内 +硬玉勾玉+碧玉勾玉

 

西石動遺跡 33.356139,130.399444  銅戈   金海式 肥前南東

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町石動字西一本杉
中細形銅戈鋳型1
金海式甕棺墓4

 

一本谷遺跡 坊所一本谷遺跡 33.335140,130.422729           肥前南東
1970年代航空写真 1980年代末航空写真 色別標高図 wikimapia

 佐賀県三養基郡上峰町坊所一本谷
弥生後期 箱式石棺から出土
長℃q孫銘内行花紋鏡170φ鈕座「長℃q孫

 

上志波屋遺跡 志波屋寺ヶ里 33.350887,130.379807 1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia 肥前南東

佐賀県神埼市神埼町志波屋字四本松(甲・乙)・六本松(甲・乙)
墳墓- 古墳-  円墳 +横穴式石室

墳墓- 弥生- 箱式石棺
方格規矩鏡85φ銘文なし 完形
連弧紋銘帯鏡(昭明鏡)前漢鏡96φ銘帯「内而青而以召明光而象夫而日之月而不己」 完形
+ヤリガンナ+人骨

 

志波屋三本松遺跡 33.344193,130.381104 1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia 虺龍紋鏡   肥前南東

佐賀県神埼市神埼町志波屋字三本松
墳墓-弥生-土器棺
(き)虺龍紋鏡110φ銘文なし 破片 1960年代出土 七田民子所蔵

 

三津永田遺跡 33.347546,130.383759 1970年代航空写真 金海式 虺龍紋鏡  貝釧 肥前南東

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町三津字永田・西ノ田
(弥生前期末〜後期初) 甕棺墓100以上(内金海式甕棺墓1)+箱式石棺墓+土壙墓 +人骨+管玉+小玉+銅鏃+鉄釧


四乳虺龍紋鏡 92φ
「東脊振村三津の石蓋甕棺と内行花紋明光鏡」『佐賀県文化財調査報告書2 』 p77
石蓋甕棺墓01950
連弧紋銘帯鏡90φ昭明鏡個人蔵(県博保管)前漢鏡
「一内而青而以而召而明而光而為而日」
115号甕棺墓(き)虺龍紋鏡 四虺鏡92φ平原165φ個人蔵(県博保管)後漢鏡
-●鏡式不明
104号甕棺墓01949
おおまかにAD130-250頃
細線式獣帯鏡 5乳143φ流雲紋縁祐徳博物館新〜後漢鏡
「桼言之紀従鏡始 蒼龍在左 白乕在右 ¢P賈 孫子」→鑓溝141φ
+弥生素環頭大刀(503mm+α)
+ゴホウラ貝釧 10 (立岩型有鉤銅釧 のモデル)

 

吉野ヶ里辛上遺跡 (福田型 邪視紋銅鐸) 大曲一の坪枝町遺跡 枝町遺跡         肥前南東
33.333946,130.387115 1980年代末航空写真 色別標高図 wikimapia    邪視紋  銅鐸  一括退蔵遺跡map

 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町辛上
●福田型2区横帯紋銅鐸1280mm
  鈕形状分類だと菱環鈕に外縁が付いた
 
 外縁付鈕1式 (古式 U式) 

                      
木幡家 / 吉野ヶ里
吉野ヶ里 / 木幡家
吉野ヶ里銅鐸と伝出雲出土銅鐸は同じ鋳型で作られた

1998年 吉野ヶ里遺跡大曲一の坪地区の小さな穴に逆さに埋められた九州で初の銅鐸(高さ28cm)が発見された
(倒立退蔵例はこの前年(1997)に愛知県一宮市八王子遺跡で初の出土)

 

目達原桜馬場 33.325945,130.405469  中広形銅矛   一括退蔵 肥前南東

  神埼郡吉野ヶ里町
中広形銅矛4  青銅器一括退蔵遺跡  (青銅器一括隠蔽遺跡) 

 

検見谷遺跡 33.338797,130.464208 1980年代末航空写真 色別標高図 中広形銅矛  一括退蔵肥前南東

  佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字一の幡
佐賀県三養基郡みやき町白壁
背振山地南麓から白壁地区に向かって延びる丘陵の西側
谷の最奥部 南へ入り込む小支谷の斜面上
標高約24メートルの場所

 青銅器一括退蔵遺跡  (青銅器一括隠蔽遺跡) 
弥生後期
+中広銅矛12

 

西尾遺跡 33.326500,130.454330 広形銅矛   肥前南東

佐賀県三養基郡みやき町大字東尾字西尾
広形銅矛1

 

東尾遺跡 33.327444,130.456306 銅戈    肥前南東

  佐賀県三養基郡みやき町大字東尾字東尾
細形銅戈1
段丘切通し部で地元中学生が発見
周辺には甕棺などの弥生土器片が散乱
甕棺墓か土壙墓などの弥生墳墓の副葬品
現存長182mm 茎(なかご)推定幅15mm 厚さ2mmで身と同様に扁平
樋に斜格子目紋帯を鋳出す扁平な作りは
武器としての機能を喪失しつつあるステージに属するものかと
  竹重
弥生中期初頭 (BC1C前葉)の宇木汲田の
金海式甕棺墓 K17から出土した細形銅戈
斜格子紋の横帯紋帯を持つ
明器化した扁平な銅戈
     類例:宇木汲田2, 竹重, 東尾(IIa3), 有田(IIa2)
 



 

北尾遺跡 白壁銅戈 33.330444,130.462667  銅戈    肥前南東

  佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字一の幡
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁
細形銅戈1(261mm) (副葬品)
昭和20年代に畑を開墾中に甕棺が出土その中から発見されたと
全体的にかなり厚みがある
切先は鋭利に研ぎ出され中央に明瞭な鎬(しのぎ)を造る
2孔に実際に柄に装着されていたことを示す痕跡を残す
胡と茎に赤色顔料の付着が部分的に認められる
柄に塗られた顔料の痕跡か

 

本行遺跡 石製鋳型 33.344582,130.481415 1980年代末航空写真 色別標高図 wikimapia                  肥前南東
                             中広形銅矛    邪視紋   菱環鈕    横帯紋   銅鐸 



#12鋳型
銅鐸鋳型
 銅鐸の中位部分の身の半分から鰭
 斜格子紋+重弧紋 鰭には斜線紋
  佐賀県鳥栖市江島町字本行・西谷3256-742
標高10〜20mの舌状台地上に立地 1991-93調査
集落 -   弥生中期後半   〜   弥生庄内式併行期   - 溝
(AD1C王莽期〜帥升願請見) (壹与叙任・難升米東征〜

+弥生小形仿製鏡 -  弥生後期前半  (AD2C)
弥生小形仿製鏡 (七弧内行花紋鏡) 78φ 銘文なし 完形
弥生小形仿製鏡 φ

+銅鐸鋳型 -  弥生中期後半  (AD1C中〜末)
石製銅鐸鋳型 (#12鋳型)
復元高160mm程
   加茂岩倉#10の泳ぐ海亀
   絵柄が良く似ている(森浩一)
   銅鐸や土器に描かれるカメは
   多くは淡水性で 外洋性カメは稀
加茂岩倉発掘調査概報1(p70)

+銅矛鋳型 +銅剣鋳型
#1鋳型 中細形銅剣  細形銅矛
#2鋳型 中細形銅剣  銅矛 +棒状不明品2
#3鋳型 細形銅剣  銅矛切先
#4鋳型 細形銅剣or中細形銅剣  銅矛 or ヤリガンナ
#5鋳型 銅剣  銅矛 or ヤリガンナ
 #6・7鋳型    中細形銅矛の袋部
#8鋳型    中細形銅矛(袋部+耳)
#9鋳型 棒状不明青銅製品2点(完形品)
#10鋳型  砥石に転用銅剣  
#11鋳型  銅剣  

+小銅鐸(49mm) +中広形銅矛1 +鋤先2 +弥生土器

中広形銅矛
-  弥生後期前半  (AD2Cの製造)



青銅飾鋲