御笠・夜須・朝倉の遺跡+那珂川上流域





福岡平野以南で金海式甕棺を出す遺跡

金海/城ノ越
板付(田端+1区+G5a) 福岡市 博多区 板付 13 3
金隈 金隈日焼 29 0
門田遺跡述田地区 春日市 上白水 述田 9 0
門田遺跡門田地区 門田 1 0
松木地区138街区 筑紫郡 那珂川町 松の木 10 0
修理田 筑紫野市 二日市 修理田 3 1 **
津古内畑 小郡市 津古 内畑 2 13
ハサコの宮 小郡市 三沢 ハサコの宮 1 11
北牟田 小郡市 三沢 北牟田 4 13
三沢栗原 '71 小郡市 三沢 1 0
小郡 '67 小郡市 小郡 向築地 1 0 **
大久保 鳥栖市 柚比町 大久保 1 5
安永田 鳥栖市 柚比町 安永田 14 26
村田・三本松 鳥栖市 村田町 三本松 6 5 **
二塚山 神埼郡 吉野
ヶ里町
大曲他 2 0
松葉 大曲 15 0
西石動 石動 4 0
三津永田 三津永田 1 0
四本黒木 神埼市 神埼町 城原 22 8
利田柳V区 4 8
金立五本黒木 佐賀市 金立町 金立 5 0 **
三本黒木 三本黒木 3 0
本告 小城郡 三日月町 久米本告 23 7
下久米 久米久米 14 0
南薫稲荷 久留米市 南薫町 1 0
権現塚北 山門郡 瀬高町 坂田 24 7
沈目立山 下益城郡 城南町 沈目 3 0

 

修理田遺跡 33.499746,130.523563

福岡県筑紫野市大字二日市字修理田392 弥生時代から中世までの集落遺跡
修理田遺跡
修理田遺跡   (1980)1973調査 墓-弥生 +甕棺墓30+木棺墓12+土坑2 pdf(www.kyuhaku.jp)
修理田遺跡1 (1996) 331526N,1302039E(jp)
修理田遺跡2 (1998) 331555N,1302053E(jp) 集落-弥生 +掘立柱建物+井戸+土坑+溝 +弥生土器+銅鏡

1972, 1983調査分
T U V W X 不明 大型甕
合計
甕棺
合計
弥生前期  弥生中期前半   弥生中期後半   弥生後期〜 
伯玄社 金海 汲田 須久 立岩(古) 立岩(新) 桜馬場 日佐原
25 (1972) 39
3 6 3 2
27 (1972)
1 13 1 1
52 (1972) 78
4 19 4 3
←細紋鏡副葬期→ / ← 漢式鏡副葬期


津古内畑 33.446439,130.563772

小郡市津古内畑 金海式甕棺墓2 +城ノ越式甕棺墓13


ハサコの宮 33.434139,130.556306

小郡市三沢ハサコの宮 金海式甕棺墓1 +城ノ越式甕棺墓11


北牟田 33.429462,130.555985

小郡市三沢北牟田 金海式甕棺墓4 +城ノ越式甕棺墓13


栗原 33.427552,130.55396

小郡市三沢栗原 金海式甕棺墓1


小郡 33.401169,130.556511

小郡市小郡向築地 金海式甕棺墓1 *

 

大久保遺跡 33.400528,130.517944  金海式1 肥前南東

佐賀県鳥栖市柚比町字大久保・梅坂・平原/今町字梅坂
墳墓+包含地
弥生 竪穴住居137+土坑54 +土器焼成1+焼成13+井戸2+埋納1+周溝2+甕棺墓197(内金海式甕棺墓1)+土壙墓5
+弥生土器+石器+鉄器+土製品+玉類
弥生+古墳 竪穴住居+土坑 +弥生土器+須恵器+土師器+石器
古墳〜古代 竪穴住居107+掘立柱建物21+土坑18+焼土坑2+土壙墓2+溝1+土師器+須恵器+土製品+鉄器+鉄滓+鞴羽口

大久保遺跡4区
佐賀県鳥栖市柚比町字大久保
1994





 

紅葉ヶ丘遺跡 小倉新池遺跡 33.518962,130.456756 gsi wikimapia  銅戈  一括退蔵  那珂 須玖 㚢界

 
  福岡県春日市春日大牟田 (紅葉ヶ丘)
福岡県春日市紅葉ヶ丘西3
紅葉ヶ丘西に所在する小倉新池の南端付近
中広銅戈 27 一括退蔵  弥生後期前半 
中広銅戈 25 (1967年) 京博蔵
中広銅戈 2  (その後の出土)
 青銅器一括退蔵遺跡 
銅戈27 同笵 4号=9号=11号=22号 =春日市蔵2号
同笵 14号=18号
同笵 15号=20号
同笵 23号=25号
350mm

 

門田遺跡 33.518557,130.438029 1970年代航空写真 色別標高図 広形銅矛  金海式 鉄戈  図  那珂 須玖 㚢界

福岡県春日市上白水門田 | 門田790-1・790-7
弥生中期 初頭 金海式甕棺墓9 +竪穴50 +竪穴住居3 +円形遺構1 +V字溝1 述田地区
弥生中期 甕棺墓27 +木棺墓 +土壙墓 +石蓋土壙墓1
+竪穴住居7 +方形竪穴住居4 +長方形土坑4 +屋外炉1
弥生中期後葉 24号甕棺墓 大形甕 +有樋鍛造鉄戈 +鉄剣(絹糸巻き木柄) +水銀朱
+銅鏡2(甕棺内痕跡) 奴国を構成する地域集団の首長墓
27号甕棺墓 大形甕 +鍛造鉄戈 +鉄剣(平絹巻き木柄) 24号と繋がる首長墓
 弥生後期  甕棺墓2 +土壙墓4 +石蓋土壙墓1 +竪穴住居11 +溝1
+銅鋤先(U型)(0.8764,2.1659)1 +広形銅矛 1
弥生中期 初頭 金海式甕棺墓1 門田地区

門田遺跡 第3次 不詳-溝3+土坑6+井戸1+ピット+風倒木痕
  24号甕棺墓 有樋鍛造鉄戈 339mm

 

原田遺跡 33.498028,130.426556 広形銅矛   一括退蔵   那珂 須玖 㚢界

福岡県筑紫郡那珂川町安徳原田
広形銅矛12
地下2.5 尺に12口まとめて 刃を互い違いにして横に並べてあった
丹塗り筒型器台(弥生時代後期の溝)

 

安徳台遺跡群 (33.493595,130.424749)    貝釧  鉄戈  図   三角鏃   那珂 須玖 㚢界

福岡県筑紫郡那珂川町原田
福岡県筑紫郡那珂川町安徳竹原532-8
          
不明-土坑4 弥生 - 弥生土器
不明 - 須恵器+土師器+陶磁器 +石器

 鍛造鉄戈 を出す岸田遺跡のある早良平野南部からは 室見川・椎原川・小笠木川と遡り 小笠木峠を越えてこの那珂川流域に連絡する
北東方向には須玖の岡が位置し
那珂川を遡上し坂本峠を下ると松葉・二塚山・吉野ヶ里方面へと連絡する

安徳台台地全体に広がる集落に130軒を超える住居跡を確認 (弥生中期から弥生後期初)
+石剣 +鉄斧 +銅鏃 +青銅器鋳型 +勾玉 +小玉(半島産アマゾナイト/天河石)+甕 +壺 +高杯 +石包丁

墓地 ( 弥生中期後葉 ) - 三雲南小路委奴國王墓と併行 - 委奴國王権成立に深く関与し 嶺南にも足掛かりをもつ首長の墓
   立岩(古)   2号甕棺 棺外  無樋鍛造鉄戈  1 (290mm) + 鉄剣  1 (380mm)
棺内 男性遺骨 +ゴホウラ貝釧 53 +ガラス塞杆 2 +ガラス勾玉 3 +ガラス管玉 337
5号甕棺 女性人骨 +ガラス塞杆 2
立岩(古)式甕棺 5号甕棺 + 2号甕棺↑   ↓鉄剣 (380mm)            
ガラス塞杆 4 +ガラス勾玉 3 +ガラス管玉 337 ゴホウラ貝釧 無樋型鍛造鉄戈 (290mm)
 三角鏃 

18号住居跡
 
北東部の谷を挟んだ細長い地形にも甕棺7 (墳丘墓の可能性)


  ガラス塞杆状製品(30.5〜33mm)は各墓2個づつ出土し ペアセットで使用されるもののようである
ペアセットでの出土は楽浪漢墓でも常のことであるともいわれる
1919年の石巌里第9号墳の報告書では[塞杆1+玉豚1+琀1+鼻塞2+充耳2+眼玉2]の組み合わせで
この塞杆は単数出土であったため梅原も理解に苦しむが これは遺物呼称設定ミスによるものである
左上はソウルの国立中央博物館の同墓出土品のディスプレイで
現在でも充耳が earplug として理解され 塞杆とされたものの用途も梅原の理解に従っている
安徳台出土品は左下写真の左下の断面八角形のものに類似するが
これは漢代の通常形の死者の両耳腔に差し込む塞杆 (earplug)である
下図は須玖岡本や立岩でも出土する ガラス塞杆 としての1960年の梅原による紹介である

 
小穴を穿ち
管玉・小玉のように使用する2次的使用法のバリエーションも
起こって然りではあろうが
 ガラス塞杆 は楽浪墓でも副葬される遺物で
漢の楽浪郡への関与に関連して残された遺物であって
漢代に流通する華北産の 鉛バリウムガラス でできた製品


安易に髪飾りで
理解されるべきではなかろう
ましてやここでの出土はペアセット
 


周辺遺跡 
観音堂遺跡群 約3km北に位置する小台地
縄文時代から平安時代までの遺跡
木棺墓3 +甕棺墓92 +石蓋土坑墓1 墓は南北に列をなす
弥生前期末から弥生後期
硬玉管玉 +漢式銅鏃 +小児遺骨に貝輪装着 (権力の世襲が行われていたことを示唆)
今光・宗石遺跡群 約3km北の平地 縄文時代から中世の複合遺跡
甕棺墓+住居+土抗+方形周溝+甕棺墓95 +銅釧(腕輪)4 甕棺(表面を黒く塗る)

 

岸田遺跡群 4区 33.510833, 130.331111  細形銅矛  細形銅剣  鉄戈  図   那珂 早良 㚢界

福岡県福岡市早良区東入部岸田 2009-2010調査
福岡県福岡市早良区早良4丁目
東入部遺跡よりさらに約1km上流
海から遠く 早良平野の最も狭まる 奥まった場所に位置する遺跡
現在の早良区長峰(ながみね) 周辺
砂礫台地上の4区に 86基の墓 (甕棺墓78+土坑墓・木棺墓8)
+細形銅剣5+細形銅矛3+鉄戈1+青銅製把頭飾1+ヒスイ勾玉+碧玉管玉
早良平野では吉武遺跡群に次ぐ青銅器の集中
把頭飾や銅剣には  朝鮮半島とは異なる鋳造技術や形態のものも含まれ
列島に流入した早い段階から
列島での青銅器生産が本格的なものであったことを物語る
東の福岡平野南部(安徳台)や南の佐賀平野(二塚山)に移動する交通の要衝にあたり
青銅器生産が盛んであった両地域への
初期の青銅器流出を想定する上でも重要な発見


中期初めから前葉
(BC1C前半)
金海式甕棺墓5+木棺墓1 +(細形銅矛3+細形銅剣5+把頭飾1)青銅器9
+ヒスイ勾玉+碧玉管玉
 中期後葉 (AD1C) 4区北群 K0443甕棺墓 +鍛造鉄戈 338mm (福岡市で唯一の発見) +水銀朱
 

鍛造鉄戈 338mm
4区北群 K0443甕棺墓
弥生中期後葉 (AD1C)

 

森園遺跡 33.544694,130.487667  銅戈  

大野城 中森園 細形銅戈 ? 1 汲田式甕棺墓?  弥生中期前半 

 

大宰府神宝銅鉾図 (33.521455,130.534752)  銅戈  

福岡県太宰府市 広形銅戈 スケッチ 青柳種信筆 2  弥生後期前半 
 

 

片野山遺跡 33.504216,130.528109  一括退蔵  銅戈  1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia 㚢界


太宰府天満宮所蔵
  福岡県太宰府市片野
*
福岡県太宰府市南
付近は福岡平野と筑後平野の分水嶺にあたる
太宰府片野山 銅戈出土地
 青銅器一括退蔵遺跡 
1784出土
中広銅戈 11 一括退蔵  弥生後期前半 

春日市原町遺跡の内に綾杉紋を鋳出した30号銅戈は
片野山遺跡11本の銅戈のうちの1本と同笵

 

水城丸山遺跡 (33.51848,130.492981)  銅戈  

福岡県太宰府市
細形銅戈 1
 

  

御笠地区遺跡G地区 33.488995,130.548736 gsi wikimapia


福岡県筑紫野市阿志岐

G地区32号住居跡
弥生小形仿製鏡
銘文なし 完形 44φ

1981・1982年発掘


御笠地区遺跡F地区 33.490605,130.550044 gsi wikimapia  

福岡県筑紫野市阿志岐
 弥生後期庄内式併行期 
●長℃q孫銘蝙蝠座内行花紋鏡 138φ 破片 1977年発掘



 筑紫野・小郡  

 

阿志岐古墳群B群24号墳33.488323,130.555397 gsi wikimapia  筑紫野・小郡  

筑紫野市阿志岐
 弥生後期庄内式併行期  -方墳(8.0×6.0〜7.0m)
+粘土槨+割竹形木棺
阿志岐古墳群U(1985) (pdf)
蝙蝠座内行花紋鏡 110φ
欠損 銘文なし 1981年発掘
 

 


 

ヒルハタ遺跡 33.464022,130.595012gsi 1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia  筑紫野・小郡  


福岡県朝倉郡筑前町三牟田 急峻な河岸段丘上 弥生時代の終りごろに突如出現した巨大集落

 
+五面彫鋳型+多数の鉄鏃等の武器
B福岡県朝倉郡夜須町ヒルハタ鋳型
保存性の良い鋳型で 6面体の5面に各種銅器の型が彫り込まれる
鋳上がり面径(?93φ)の銅鏡の鏡背紋様は 幅広平縁/櫛歯紋帯/図紋帯/内行花紋帯/鈕
内行花紋日光銘鏡系仿製鏡第U'型とされているもので
通例の第U'型とは全体の印象は良く似ているものの図紋帯と内行花紋帯が逆転
製品実例として佐賀県神埼郡二塚山出土の二塚山T鏡(85φ)がある
両者は製品の二塚山T鏡のほうがやや大きく 鋳型と製品の関係にはならないが
紋様の酷似からみてヒルハタ工房の作例であることさえ疑われる
連弧紋日光銘鏡系弥生小形仿製鏡石製鋳型
須玖永田A 福岡県春日市日の出町 第U型b類
須玖坂本 福岡県春日市岡本 第U型a類
飯倉D 福岡県福岡市城南区 第U型a類
ヒルハタ遺跡 福岡県朝倉郡夜須町 第U'型


 

宮ノ上遺跡 33.467319,130.570724 有鉤銅釧  筑紫野・小郡  

  福岡県朝倉郡筑前町朝日
標高30mの山家川左岸の低段丘上
+有鉤銅釧鋳型  弥生後期 



筑紫野域の首長クラス墓地
  1. 二日市峰畑遺跡
  2. 道場山遺跡
  3. 隈・西小田地区遺跡(筑紫野市)
  4. 峰遺跡 東小田峯遺跡 (夜須)
  5. 吹田遺跡(夜須)
        
想定される遺跡の属性                
 弥生中期後葉  (およそ 1世紀後半〜2世紀の第1四半期)
+ 大型甕棺  (立岩古) -- ( 立岩古 は由緒正しい 古式甕棺 として 弥生後期前半 まで残る)
+地表に墓壙を穿ち埋葬後その上に厚く封土を盛り上げた墳丘墓
+ 前漢鏡 
+ 鉄矛 鉄戈   + 鉄剣 
+ 鉛バリウムガラスガラス製品 
+ ゴホウラ貝釧  +イモガイ製貝輪
 

二日市峰畑遺跡 33.500202,130.520791 gsi wikimapia 筑紫野域の首長クラス墓地   筑紫野・小郡  

星雲鏡出土地
 
安政4年(1857)10月 二日市村字峯で櫨苗を植えるときに偶然に甕棺が発見された
当時 二日市の庄屋であった鹿島九平次は そのときの模様を図面を付けて詳しく記している(『鉾之記(ほこのき)』)
それによると 棺内には前漢鏡1面 中細形銅剣1本が副葬されており 棺内面には朱が塗られていた
福岡県筑紫野市大字二日市下日墳または大字紫
墳墓 - 甕棺墓 - 弥生中期中葉
星雲鏡 103φ 銘文不明 完形 1857年出土 所蔵・保管者不明 現物なし
+中細形銅剣
 
茶戸里1号墓 --φ
密陽校洞遺跡 98.5φ
三雲南小路#2甕棺墓 74φ
吉武樋渡#62甕棺墓 83φ
二日市峰畑遺跡 103φ
須玖岡本遺跡 165φ
156φ
156φ
156φ
破片
御殿山古墳 123φ
 

道場山遺跡 33.489722,130.512500 gsi wikimapia
 筑紫野域の首長クラス墓地    貝釧 鉄戈  図  鉄矛    筑紫野・小郡  

福岡県筑紫野市大字武蔵 (旧二日市) 道場山A遺跡 道場山B遺跡
九州縦貫自動車道関係埋文調査報告25 - 道場山1地点の調査 (1978)
九州縦貫自動車道関係埋文調査報告25 - 道場山2地点の調査 (1978)
弥生 - 集落+墓 - 甕棺墓112 +石棺墓 +土壙墓 +木棺墓 +住居跡 +袋状竪穴
+甕棺 +鉄製品 +人骨 +装身具 +弥生土器 +石器
第1地点 (出土品) +イモガイ製貝輪 K48甕棺墓 弥生中期後葉〜後期
+ 鉄矛  (棺外) 228mm 不明甕棺墓
+ 鉄戈  (棺内) 390mm K100甕棺墓
第2地点 弥生前期
T U V W X 不明 大型甕
合計
甕棺
合計
弥生前期 弥生中期前半 弥生中期後半 弥生後期〜
伯玄社 金海 汲田 須久 立岩(古) 立岩(新) 桜馬場 日佐原
10
第2地点
0 0 0 27 29 11 0 6 83 112
(+2) (+12) (+15)
10 0 0 29 67 0 6
道場山式
←細紋鏡副葬期→ ← 漢式鏡副葬期

 

 

隈・西小田地区遺跡第13地点 33.451782,130.555862 gsi
筑紫野域の首長クラス墓地   貝釧 鉄戈  図   筑紫野・小郡

福岡県筑紫野市大字西小田
隈・西小田地区遺跡第13地点
甕棺墓24
23号棺大型甕棺墓(弥生中期後葉) +35才前後男性人骨
06761 重圏銘帯鏡 昭明銘 前漢鏡 109.9φ 完形
(内) 渦紋4+田状紋4+「見久相見 長毋相忘」
(外) 内質以昭明 光夫日 心忽揚而願忠 壅塞而不泄
+ゴホウラ貝釧(108mm)41 +鉄戈 (395mm)+鉄剣(380mm)1
  ゴホウラ貝釧(108mm)41
(立岩型貝輪)

↓↑
 
弥生鉄戈 (395mm)
 

 

隈・西小田地区遺跡第3地点109号甕棺墓 33.449653,130.564927 貝釧 細形銅剣   筑紫野・小郡 


細形銅剣
  福岡県筑紫野市隈 西小田
甕棺墓130( 弥生中期 )

109号甕棺墓
( 弥生中期中葉後半 (AD1C前半)
+細形銅剣
+ゴホウラ貝釧 8
+40才代男性人骨

右前腕に8個装着の出土例としては
諸岡B遺跡での2例がある
いずれも須玖式甕棺墓
 弥生中期中葉後半 (AD1C前半)

ゴホウラ貝釧 (ゴホウラ製 諸岡型縦切貝輪) 8


隈西小田遺跡第2地点 甕棺墓 K513 貝釧 ゴホウラ 6 副葬 男性熟年 甕棺 汲田新  弥生中期前半 
隈西小田遺跡第3地点 甕棺墓 K109 貝釧 ゴホウラ 8 副葬 男性熟年 甕棺 +細形銅剣 汲田新  弥生中期前半 
隈西小田遺跡第5地点 甕棺墓 K64 貝釧 ゴホウラ 1 副葬 不明成人 甕棺 汲田古  弥生中期前半 
隈西小田遺跡第5地点 甕棺墓 K68 貝釧 ゴホウラ 1 副葬 男性熟年 甕棺 汲田古  弥生中期前半 
隈西小田遺跡第8地点 甕棺墓 K15 貝釧 イモガイ 10 副葬 不明成人 甕棺 立岩古  弥生中期後半 
隈西小田遺跡第10地点 甕棺墓 K224 貝釧 イモガイ 1 副葬 小児 甕棺 立岩古  弥生中期後半 
隈西小田遺跡第13地点 甕棺墓 K23 貝釧 ゴホウラ 41 副葬 男性成人 甕棺(黒色磨研) 墳丘墓? +前漢鏡+鉄剣+鉄戈 立岩古  弥生中期後半 

 

峰遺跡 東小田峯遺跡 (夜須) 33.451603,130.573151 gsi
細形銅剣  鉄戈    筑紫野域の首長クラス墓地 筑紫野・小郡

 
福岡県筑前町東小田字峯・塚本
福岡県朝倉郡夜須町 弥生中期後葉
+甕棺墓9
+墳丘墓(墳丘内甕棺墓42) (=台状墓)
10号甕棺墓 (弥生の夜須王墓)
 
連弧紋銘帯鏡 清白銘鏡 06766 172φ 銘帯 前漢鏡
屑C白而事君 志沄□之合明 玄□錫流澤 恐疎而日忘 美之以窮 可兮 永思□而
連弧紋日光銘鏡 90φ 前漢鏡
+鉄戈1+鉄剣1+ガラス製璧2+毛抜形鉄器1
376号甕棺墓
(弥生中期中頃)
+細形銅剣
      三雲南小路出土ガラス製品は
持ち込まれた華北産の 鉛バリウムガラス 
このガラス製璧2は
同成分の 鉛バリウムガラス の列島再加工品
T U V W X 不明 大型甕
合計
甕棺
合計
弥生前期 弥生中期前半 弥生中期後半 弥生後期〜
伯玄社
Tb
金海
Tc
汲田
Ub
須久
Va
立岩(古)
Vb
立岩(新)
Vc
桜馬場
Wa
日佐原
X
0 0 0 10 6 0 1 0 4 21 29
(+2) (+4) (+0) (+0) (+2)
10 0 16 1 0 4
←細紋鏡副葬期→ ← 漢式鏡副葬期

 

吹田遺跡 33.473190,130.591690 gsi wikimapia 筑紫野域の首長クラス墓地   鉄戈  図   筑紫野・小郡  

福岡県朝倉郡夜須町吹田(旧)
福岡県朝倉郡筑前町吹田
    
J-20180

吹田・東小田遺跡群

宝満川支流の曽根田川北岸 砥上岳の山麓から西南にのびる吹田・東小田の低台地上に
甕棺墓・箱式石棺墓を主とした弥生時代の大遺跡群がある

吹田遺跡は中期の甕棺墓の列埋葬が知られ 近くの吹田小路田から  鉄戈 1 が出土している

丘陵南端部の東小田・峯遺跡
戦前に 前漢鏡1 + 鉄戈 1 の出土が知られ
近年の発掘で弥生前期から後期にわたる大遺跡群が見つかった
住居跡457軒 +甕棺墓532基が調査され
溝で区画された長方形(21×15m)の墳丘上の24基の甕棺墓の一つから (=台状墓から)
ガラス壁2 +前漢鏡2 + 鉄戈 1 +鉄剣1が出土している

その他 吹田・松延の丘陵上には未調査の箱式石棺群があり
丘陵南端部の峯遺跡に近接した
塚本・沼尻・丸町の遺跡は 中〜後期の 集落 +甕棺墓 +石棺墓群
丸町から 銅矛鋳型
中原前遺跡からは  銅戈 鋳型
朝日宮の上遺跡からは 銅釧鋳型が出土している




 

平塚栗山遺跡 33.394313,130.651897 1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia  鉄戈   筑紫野・小郡  

福岡県朝倉市平塚栗山
弥生中〜古墳初 墓(甕棺墓 +古墳?)
+弥生鉄戈1 +貝輪 +絹織物 +鉄鏃
+連弧紋銘帯鏡(昭明銘鏡)(96φ) +三角縁神獣鏡

小田・平塚遺跡群
平塚川添遺跡(低地性環濠集落)
+平塚山の上遺跡等の(福田台地上の遺跡群)

平塚栗山遺跡は平塚川添遺跡の東側に隣接し
福田台地西端部に位置する遺跡
 

平塚二塚

弥生末〜古墳前 大型箱式石棺5 +鉄挺




 

久保田遺跡 33.410444,130.527750   鉄戈    肥前南東

佐賀県三養基郡基山町大字長野字久保田
無樋型鍛造鉄戈 1



 

長身の戦いに敗れたムラ vs 筑紫野域の首長クラス墓地

33.588184,130.457748 席田赤穂ノ浦遺跡 戦いに
敗れた
ムラ
33.710222,130.486000 須玖タカウタ遺跡
(33.565296,130.453598) 板付田端遺跡
33.561710,130.472366 金隈遺跡
33.500202,130.520791 二日市峰畑遺跡
33.488825,130.513158 道場山遺跡
33.475807,130.538498 永岡遺跡 戦いに
敗れた
ムラ
33.448917,130.550705 隈・西小田地区遺跡第7地点
33.449653,130.564927 隈・西小田地区遺跡第3地点
33.451782,130.555862 隈・西小田地区遺跡第13地点
33.451603,130.573151 峰遺跡 東小田峯遺跡 (夜須)
33.473190,130.591690 吹田遺跡(夜須)
33.394313,130.651897 平塚栗山遺跡
33.403790,130.552261
小郡若山遺跡
33.402184,130.511444 柚比遺跡群 柚比本村遺跡
33.398834,130.514633 柚比遺跡群 安永田遺跡
33.344582,130.481415 本行遺跡
33.333946,130.387115 吉野ヶ里 大曲一の坪 枝町遺跡
33.527421,130.755280 鎌田原弥生墳墓群
  長身の戦いに敗れたムラ + 筑紫野域の首長クラス墓地
青銅器鋳造遺跡
 

金隈遺跡 33.561710,130.472366 gsi wikimapia 日本一高身長だった弥生人  金海式29  㚢界  福岡平野 

福岡県福岡市博多区金の隈
月隈丘陵の西南部 標高30m前後の丘陵端 1.2haが史跡指定 (1969年1970年発掘調査)
西約2kmに板付遺跡 南西約3kmに須玖岡本遺跡群
 弥生前期の中頃から後期 甕棺墓348+土壙墓119(含む土壙+組合式木棺)+石棺墓2
弥生前期の主要な墓制は土壙墓
甕棺墓板付田端遺跡とともに金海式甕棺から始まり  弥生中期 中葉〜葉が中心域で (AD2C) 弥生後期 には著しく衰退する
T U V W X 大型甕
合計
甕棺
合計
弥生前期  弥生中期 前半  弥生中期 後半  弥生後期 
金海 汲田 須久 立岩(古) 桜馬場 日佐原
0 7 55 100 17 3 6 188 348
0 (+22) (+27) (+77) (+29) (+2) (+3)
111 223 5 9
弥生中期前葉 弥生中期中葉 弥生中期後葉
第1四半期 第2四半期 第3四半期 第4四半期
福岡市金隈遺跡(1970)
金隈遺跡第2次調査報告概報(1970)
史跡金隈遺跡(1985)
九州の甕棺 - 本文+付図 (pfd)

 弥生中期 終盤に この地方において
住民の大きな交代劇があった
o 弥生中期の第3四半期と第4四半期の端境で一気に著しく甕棺墓が減少する
o 弥生中期後半から漢式鏡副葬期が始まっている (AD1C末の三雲委奴國王墓で本格化)
o その前段として副葬鏡の切り替わりに関わる勢力抗争とその結果の交代劇があったかと考えられる
o 勝ち組が立岩古式の甕棺墓人で三雲・立岩・須玖岡本に侯王墓を営む
o 負け組の多鈕細紋鏡を宝器とする甕棺墓人は鏡や多量の中細形銅戈を退蔵し 東方に向けて移動する
o 銅鐸・銅戈・多鈕細紋鏡は弥生中期後半にセットとして東方に持ち出される

 

  須玖地区の弥生遺跡


 

永岡遺跡 33.475807,130.538498 gsi wikimapia  銅戈   戦いに敗れたムラ/高身長  筑紫野・小郡  

福岡県筑紫野市永岡92906ほか (古墳-溝+ピット+土師器/中世-土壙墓+青磁) 甕棺墓を主体とする 弥生中期 の墓地
(浜田信也編『永岡遺跡』筑紫野市文化財調査報告書6 1981)
甕棺墓153(成人44+小人・幼児109)+木棺墓9+土壙墓21 + 銅戈 鋳型1 残存遺体:成人41(男性17+女姓23+不明1)+小人・幼児12
T U V W X 時期
不明
大型甕
合計
甕棺
合計
弥生前期  弥生中期 初頭  弥生中期 前半  弥生中期 後半  弥生後期 
金海 汲田 須久 立岩(古)
0 0 113 10 0 0 0 29 124 152


当時北部九州一帯で多くみられる著しい高顔(面長)と高身長を特徴とするいわゆる「渡来系」弥生人の特徴を備えている
永岡遺跡の平均身長は男性162.1cm 女性152.2cm

 

仮塚南遺跡 33.465806,130.536556  銅戈    筑紫野・小郡 

筑紫野市諸田仮塚
広形銅戈 鋳型  弥生後期前半 

 

隈・西小田地区遺跡第7地点 33.448917,130.550705 gsi wikimapia    銅戈   中細銅戈一括退蔵    筑紫野・小郡 

福岡県筑紫野市隈 西小田
筑紫野市原田
山間部の人里離れた山中の急傾斜(光ヶ丘団地)
中細形銅戈 23
 弥生中期後半 の製品
漢式鏡への交代期に
 一括埋納遺跡 
 一括隠蔽遺跡 
 一括退蔵遺跡  やられてまとめて埋めて隠した?
 
戦いに敗れたムラ

 
6号 銅戈  は 福岡市住吉神社蔵6のうち6号と同笵
 銅戈  22中に 互いに同笵のものは含まれず


 銅戈   一括退蔵遺跡   一括隠蔽遺跡   一括埋納遺跡 
中細形銅戈に限る
住吉神社付近 筑前 博多区 住吉 中細形銅戈 6 一括退蔵 
中細形銅矛 5 一括退蔵 
隈西小田第7地点 筑紫野市 原田 中細形銅戈 23 一括退蔵 
大板井遺跡 小郡市 大板井 中細形銅戈 7 一括退蔵 

博多近辺で銅製品が 一括退蔵 される可能性のある時期としては以下の2つの時期が想起される
@副葬鏡が多鈕細紋鏡から漢式鏡に切り替わる遷移期にあたる政権交代期で 弥生中期 中葉から 弥生中期 後葉へ切り替わる頃
A博多近辺から中広形銅矛 広形銅矛が消滅する政権交代期で 弥生後期 前葉から 弥生後期 中葉へ切り替わる頃
中細形銅戈 弥生中期 末の三雲の奴國王墓に続き須玖の奴國王墓にも副葬されているが 遅い時期の限定的な副葬と呼ばれる
多鈕細紋鏡を副葬鏡とする勢力が中細形銅戈を多量に所持し それを 一括退蔵 するというシナリオが成立しそうだ
中細形銅戈の出土が限定化された博多周辺では程なく中広形銅矛 広形銅矛とともに中広形銅戈の爆発的な大量生産期を迎え
これに続く中広形銅矛 広形銅矛 中広形銅戈が消滅する政権交代期が 弥生後期 前葉から 弥生後期 中葉への狭間となる

 
 
 

胸に鹿の絵が描かれた広袖の緩衣を纏い
両手を高く挙げたこの線刻は
当地の首長が祈る姿を模したものでしょうか

広袖緩衣の胸に鹿の絵ということは
記紀には高木神として取り込まれた
金海式甕棺墓系の海の民を率いる
渡来木棺墓系の当地の首長の家系は
あるいは鹿をトーテムとしていたのかもしれない




 

柚比遺跡群 柚比本村遺跡 33.402184,130.511444 1980年代末航空写真 色別標高図 銅戈  鞘附銅剣肥前南東

 弥生中期後半 (AD1C)甕棺墓

+中細形銅戈鋳型 (綾杉紋)

+細形銅剣7 +剣把頭飾3

+赤漆玉鈿装鞘銅剣1 ( 鞘附銅剣)
  佐賀県鳥栖市柚比町前田/梅坂/永田/神山/弥生が丘5・7・8
佐賀県鳥栖市柚比町370
 弥生中期  - 掘立柱建物11 +甕棺墓45 +木棺墓1 +石蓋土壙墓2
+玉飾漆鞘 +細形銅剣 +中細形銅剣 +青銅製把頭飾
+銅製ヤリガンナ +石矛

弥生後期後半(AD3-4C)甕棺墓 +鉄剣1 +ガラス勾玉

弥生  - 竪穴住居35 +掘立柱建物13 +土坑99 +周溝1 +溝3
+甕棺墓249 +木棺墓1 +石蓋土壙墓2 +土壙墓1
+銅ヤリガンナ +青銅器鋳型 +鉄器
+ガラス製品 +石器 +石矛+貝製品 +土製品 +弥生土器


 

柚比遺跡群 安永田遺跡 (福田型 邪視紋銅鐸石製鋳型 33.398834,130.514633
1980年代末航空写真 色別標高図   中広形銅矛   銅戈   金海式  邪視紋  銅鐸   肥前南東

佐賀県鳥栖市柚比町字安永田・七浦・平原 包含地+墳墓+集落
 
縄紋 +土器棺墓1 +縄紋土器
弥生 +竪穴住居73+土坑50+周溝7 +甕棺墓170+土壙墓1+石棺墓1
弥生中期 +細形銅戈1(279mm, J-7282)  +金海式甕棺墓14 が出土している
弥生中期末
〜後期前半
+銅鐸鋳型片5 (2区 綾杉横帯紋 邪視紋福田型 複合鋸歯紋鰭 製品200mm前後)
+銅矛鋳型5ピース (中広形銅矛3 +中細形銅矛1 ) +中広形銅矛1 +弥生土器
弥生〜古墳 +甕棺墓+土壙墓+祭祀土坑+溝+住居 +甕棺+弥生土器+石器
+銅剣(切先)+銅矛(切先)+石剣(切先)+石戈(切先)+鉄鏃+土師器
古墳〜古代 +竪穴住居18+土坑6 +土師器+須恵器
調査報告書 柚比遺跡群1 (2001.03.30)
調査報告書 柚比遺跡群2 (2002.03.29)
北方向から狭く深く谷が入り込む地形
この谷頭を取り囲むようにして竪穴式住居跡49軒
36軒は弥生時代中期後半から末 (約1900年前)
谷底にもっとも近いところから
青銅器の原料を溶かしたと思われる炉跡
谷間の風通しを利用するために谷底に炉を置く
PDF:1.50MB, PDF:1.46MB        

九州で初めての銅鐸鋳型(1979)
この鋳型で作られた銅鐸は
大きさ20cm前後で比較的小型
279mm 細形銅戈
355mm 中細形銅戈
 

 

大久保遺跡 33.400528,130.517944  金海式1 肥前南東

佐賀県鳥栖市柚比町字大久保・梅坂・平原/今町字梅坂
墳墓+包含地
弥生 竪穴住居137+土坑54 +土器焼成1+焼成13+井戸2
+埋納1+周溝2+甕棺墓197(内金海式甕棺墓1)+土壙墓5
+弥生土器+石器+鉄器+土製品+玉類
弥生+古墳 竪穴住居+土坑 +弥生土器+須恵器+土師器+石器
古墳〜古代 竪穴住居107+掘立柱建物21+土坑18+焼土坑2
+土壙墓2+溝1+土師器+須恵器+土製品+鉄器+鉄滓+鞴羽口

大久保遺跡4区 (1994)
佐賀県鳥栖市柚比町字大久保
 

 

平原遺跡 33.401361,130.521833  銅戈     肥前南東

佐賀県鳥栖市柚比町字平原
弥生+古墳 - 環濠 +竪穴住居 +甕棺墓 +土坑
+弥生土器 +土師器 +須恵器 +石器 + 細形銅戈 鋳型 IIb  弥生中期前半
弥生後期の住居址から砥石として出土