福岡県福岡市西区下山門生の松原1-32・1-33
包含地 古墳〜奈良 - 竪穴住居+土坑
弥生末期〜古墳中期 |
土師器+ 陶質土器+韓式系軟質土器 +磨石+鉄鏃 |
古式土師器+朝鮮半島系陶質土器+ 軟質土器+瓦質土器 +弥生土器+鉄器 |
古墳後期 |
須恵器+土師器 |
奈良+平安 |
古代の土師器+須恵器+斜ケ浦系瓦+土錘 |
※
砂丘に暮らす弥生人 -- 海に暮らした人々 と 農耕で暮らした人々
との 棲み分け と コラボ --
博多湾沿岸には古くから砂丘が形成されていましたが
これまでの発掘調査で弥生時代の遺跡が多く明らかになってきました
弥生時代といえば 水田稲作のイメージが強いのですが
周辺の環境が農耕には適していない砂丘の地には漁村的な集落が営まれていたと考えられています
また 弥生時代の博多湾沿岸では大陸との海を通じた対外交流が活発となり
日本列島の中でも先進的な国々が形成されますが
海に暮らした人々はその対外交流においても重要な役割を担っていたようです |
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1963年に出土した細形銅剣 (飯倉の甕棺と細形銅剣) (崩落した金海式 甕棺墓内) |
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前期末 |
(飯倉丸尾遺跡) (飯倉C遺跡第2次調査区) |
に加えて |
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1991年のC地区2次調査でも
伯玄式甕棺(前期末)から銅剣が出土している
その甕棺の下甕は伯玄式の範疇にあり口縁下と肩部に沈線を廻らす
上甕は三角口縁三角突帯の鉢が使用されている
上甕の鉢と同型式はST-07・17・28甕棺でも使用されているが
その下甕はT類からV類に分類されていることから
前期中葉から前期末に所属することになる
ところが 上甕の鉢は吉武遺跡群では金海式甕棺でも使用されることから
中期初頭の古段階から新段階に共伴する型式である
伯玄式甕棺の最終期のものは中期初頭とされるべきだという
弥生時代初期の時期区分と初期青銅器 柳田
(2018)
纒向学研究センター研究紀要 纒向学研究 第6号
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福岡県福岡市城南区片江
福岡県福岡市城南区神松寺3丁目1617-2
カルメル修道院内遺跡
金海式 甕棺墓2
第1次調査(1974.01)
ミカン植樹による不時発見
第2次調査(1976.07)
修道院改築に伴う確認と調査 |
弥生前期末〜中期初頭
弥生中期初頭 (藤尾甕棺編年補正)
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成人棺 甕棺墓1+小児棺 甕棺墓1が露出 |
甕棺墓3(うち小児用2)
木棺墓6(うち小児用3 1基は木蓋土壙墓の可能性有
1基は未掘) +弥生土器6
+円環銅釧(錫釧)3 (金海式 甕棺墓に切られる小児用木棺墓から) |
19.172, 0.8239, 2.1401, 15.796
19.544, 0.8105, 2.1650, 15.840
19.752, 0.8039, 2.1770, 15.879
→pb_ana_南小路(_blanc) |
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第3次調査(1990.09)
共同住宅建設計画に伴う緊急調査 |
前期後半〜後期初頭の 甕棺墓6+土壙・土壙墓9
ST05 甕棺墓(老年女性人骨)+ST07 甕棺墓(熟年男性の頭蓋骨) |
第4次調査(1994.07) 図
共同住宅建設計画に伴う緊急調査 |
中期前半の成人棺と後半の小児棺各1基の 甕棺墓
中期前半以前とする土壙墓20基・貯蔵穴1基
古墳時代後期の竪穴住居址2軒他 |
第5次調査(1995.05) |
調査した墓群はこれの東側の延長上に位置 |
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福岡県福岡市早良区野芥クエゾノ 梅林7丁目149-9ほか
1973〜1974年ごろ中学生による採集
宅地造成のため表土層が削られたところに土質の異なる断面方形床面ほぼ平坦の落ち込みが認められ
床面付近が鮮やかな赤色を呈していたと
銅鏃は断面三角形のもの4
+ 断面菱形のもの3
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漢式三角鏃(三稜鏃)
断面正三角形
茎部鉄製の青銅鏃 2
現存長 32mm x 幅10mm x 高9mm
青銅部 30.5mm + 1.5mm
基部の鉄軸が程突出 (6φ)
重量7.92g
箆被部にはわずかに赤色顔料の痕跡 |
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漢式三角鏃(三稜鏃)
断面正三角形
茎部一体の青銅鏃 2
現存長43mm x 幅10.5mm x 高9mm
鏃身長33mm
稜部を削り落として箆被部を形成
箆被長5mm x 幅8mm x 高8mm
略六角形断面
下端中央に茎部が突き出し
不整な台形を呈す
茎部長3mm 基部幅5mm〜3mm
重量12.42g |
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福岡県福岡市早良区西新5丁目15-43・53・54・564・634-4・644-1・2・6丁目1-10ほか
甕棺
弥生 |
土坑 |
+弥生土器+突帯紋土器+石鏃 |
弥生中期 |
甕棺墓5+住居+土坑 |
竪穴住居1+土器溜2 |
竪穴住居6+土坑8+土器溜2 |
+弥生土器 |
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弥生中期〜末 |
溝1+住居+土坑 |
溝1+住居+土坑 |
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弥生中期後半〜末 |
竪穴住居1+土坑10+溝3+土器溜2 |
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弥生中期後半 |
甕棺墓5(中型棺2+小児棺3)+住居2+土壙5 |
弥生中期末 |
銅剣(切先1)+武器鋳型片1 |
弥生中期末〜後期初 |
溝1 |
弥生末 |
竪穴住居3+土坑18 |
弥生末〜古墳 |
竪穴住居7+土坑10+溝3 |
竪穴住居15+木棺墓1+土坑33+溝1 |
古墳初 |
土坑2 |
古墳 |
竪穴住居 |
土坑+溝+落ち込み |
+土師器+鉄器+石器 |
+土師器+朝鮮系陶器+石錘+軽石+凹石+砥石+ガラス小玉鋳型
+土錘+刀子+ 鉄鏃 +小型鍛造鉄刃+ヤリガンナ(茎)+鉄鎌
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古代 |
溝2+土坑1 |
溝2 |
溝1 |
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弥生土器+石器+土師器+鉄器+平瓦+鉄塊系遺物+円盤形土製品+ガラス製品+滑石製品
+弥生土器+碧玉管玉+鋳造鉄斧 +弥生土器+土師器
-古式土師器+高取+窯道具+板状鉄斧+ 鉄鏃 +釣針+鉄片+鉄滓+鞴羽口
+長脚鏃+刀子+錫環+滑石臼玉+ヒスイ勾玉+貝殻(アサリ+カキ)+土師器+鉄器+石器
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弥生中期- 甕棺墓5+住居+土坑
弥生中期後半〜末-竪穴住居1+土坑10+溝3+土器溜2
弥生中期末〜後期初-溝1/弥生末-竪穴住居3+土坑18
弥生中期後半- 甕棺墓5(中型棺2+小児棺3)+住居2+土壙5
弥生中期-竪穴住居1+土器溜2
弥生末〜古墳-竪穴住居7+土坑10+溝3
弥生中期-竪穴住居6+土坑8+土器溜2
弥生末〜古墳-竪穴住居15+木棺墓1+土坑33+溝1
弥生-土坑
古墳-土坑+溝+落ち込み |
弥生-弥生土器+突帯紋土器+土師器+石鏃+漁撈具+石錘+管玉+鉄斧+石器+鉄器+平瓦+鉄塊系遺物
+円盤形土製品+ガラス製品+滑石製品+碧玉管玉+鋳造鉄斧+滑石紡錘車+鉄塊など
弥生中期末-銅剣(切先1)+武器鋳型片1
時代不詳-古式土師器+板状鉄斧+ 鉄鏃 +釣針+鉄片+鉄滓+鞴羽口+長脚鏃+刀子+錫環+
滑石臼玉+ヒスイ勾玉+貝殻(アサリ+カキ)+土師器+鉄器+石器 |


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1912年の1次調査で 金海式甕棺7 が出土 |
福岡県福岡市
甕棺墓 弥生前期末-銅剣(切先18)/時期不明-銅戈鋳型
埋文研究会20-1986
1987年 「金海式 甕棺墓の土壙から銅鏡 銅剣等を出土した飯盛遺跡群」
1986年 「青銅利器を多量に出土した吉武・高木遺跡・大石遺跡を含めた飯盛遺跡群」
1981年から始まる飯盛遺跡吉武地区発掘の報告書群が1986年から「 飯盛・吉武圃場整備事業関係調査報告書」として出てくる
その頃までこのあたりの遺跡はまとめて「飯盛遺跡」と称されていた
M3標石木棺墓の発掘調査は 1983年 |
有田遺跡群 site:sitereports.nabunken.go.jp
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甕棺編年U期(金海式〜汲田式)の板付や有田遺跡では
T期同様に 甕棺墓以外の墓制を多く採用していた可能性も考えられる
U期の板付遺跡周辺では 那珂沼口遺跡で伯玄社式が2基確認されているだけで
U期においては早良も含めて墓地に関しては貧弱な内容となっている
これは調査が進めば例がふえるのか
埋葬形式の差なのか断定できないが後者の可能性が高いと考えている
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福岡県福岡市早良区西入部4丁目
銅戈出土地
中広形銅戈1
全長現存長282mm 復原長400mm程度
関部現存長113mm 復原長135mm
復原身幅52〜65mm
外側が不鮮明なるも両方ともに綾杉文
茎に眉眼鼻を備えた人面が浮彫りされている
位置:長峰遺跡の700m北
-白塔発見の人面鋳出銅戈-
1963年6月29日の夜から翌30日にかけて
福岡地方を襲った大豪雨は
早良地方にも大きな傷痕をのこした
早良町西入部白塔838番地付近は
早良平野の最も幅の狭くなった部分を東に望む
低丘陵に位置するが おりからの豪雨により
宅地南側を流れる小渓流はあふれ
隣接する小径も洗われて土砂が流された
7月4日 土石流の収まった小径から発見された |
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福岡市西区羽根戸瀧ノ下地内 位至三公鏡(破鏡)
前方後円墳+円墳+方墳 +箱式石棺+石蓋土壙墓+木棺墓+竪穴住居
金耳環12+コハク玉1+メノウ管玉1+ガラス玉26+滑石臼玉2
+鉄製品(刀+刀子+鉄剣+鉄鏃+馬具+三角板鋲留短甲片)+鉄滓
+須恵器+土師器+矛 |
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