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吉武高木遺跡 33.537533,130.318756 view 1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia
  多鈕鏡  細形銅矛 銅戈      金海式 武器形 円環銅釧  半島 早良map 細形銅矛+中細形銅矛 㚢界

福岡県福岡市西区飯盛・吉武  弥生中期初頭 (藤尾甕棺編年補正) 甕棺墓50+木棺墓4 ・短期間の特定集団墓
・相対的に木棺墓の方が早く造営された可能性がある ・木棺墓は墳丘を持っていた可能性がある
支石墓系の流れをも汲むM3標石木棺墓から 多鈕細紋鏡(111φ)+銅剣+銅矛+銅戈+句珠+管玉+城ノ越式小壺
青銅器の様式分析から M3BC100年頃
・D式の多鈕細紋鏡は出土傍例が鳳山松山里大同郡反川里のみで それらの中でも古い様式のもので 最小径
多鈕細紋鏡の早い出土例は礼山東西里石槨墓でBC3C後半(BC249-BC201)前後
・楽浪地区との深い関連性 ・Pb同位体分析から武器形青銅器4点はすべて殷周期の金属素材で改鋳をうけたもの
金海式を持ち込んだ渡来人のグループ中でも 突出したボスの墳丘墓で は鋳造時からやや時を経て副葬か?
・文献史学上でこれらの条件を満たすものはかなり限定されるはずです
・前漢楽浪郡の実質的なトップであった夫租薉君墓:貞栢洞第1号墳丘墓よりやや古い時期の構築です
cf.梨花洞 咸鏡南道 咸興市 (玄菟故府) 多鈕鏡系統図 弥生青銅器祭祀の展開と特質(pdf)

●       木棺墓 M1
細形銅剣 (BT)   (298mm) 0.8890, 2.1820 
碧玉管玉20     壺1 中期初頭
●       木棺墓 M2
細形銅剣 (BU)   (291mm) 0.8498, 2.1094 
碧玉管玉135 ヒスイ句珠 (35mm)   壺1 中期初頭
標石木棺墓 M3
細形銅矛 (A)  (207mm)  0.7665, 2.0104  
細形銅剣 (BT)  (335mm) 0.8261, 2.0843
0.7623, 1.9846
細形銅剣 (C)  (303mm)
細形銅戈 (B)  (270mm) 0.8203, 2.0742
碧玉管玉95 ヒスイ句珠 (40mm) 多鈕細紋鏡
 (B型) (111φ)
0.8260, 2.0845
壺1 中期初頭
←(樋分離形) 上石 1.75×0.90×0.50m
標石木棺墓 M4
細形銅剣 (260mm) 0.8826, 2.1622 
      壺1 中期初頭
上石 2.75×1.50×0.27m
●       甕棺墓 K100
細形銅剣 (295mm) 0.7928, 2.0373 
      金海式 中期初頭
●       甕棺墓 K109   碧玉管玉10       金海式 中期初頭
●       甕棺墓 K110   碧玉管玉74 ヒスイ句珠 (24mm) 円環銅釧2 (73φ)  金海式 中期初頭
●       甕棺墓 K111   碧玉管玉92       金海式 中期初頭
●       甕棺墓 K112 疾走する鹿2頭を描く甕棺    金海式 中期初頭
●       甕棺墓 K115
細形銅剣 (BT) (299mm) 0.8461, 2.1021 
        金海式 中期初頭
●       甕棺墓 K116
細形銅剣 (BT) (254mm) 0.8829, 2.1723 
      壺1 金海式 中期初頭
標石甕棺墓 K117
細形銅剣 (BT) (353mm) 0.8534, 2.1270 
碧玉管玉42 ヒスイ句珠 (24mm) ガラス小玉1 壺1 金海式 中期初頭
+ 上石 1.05×0.76×0.26m
●       甕棺墓 K119         壺1 金海式 中期初頭
●       甕棺墓 K125 磨製有柄柳葉形石鏃 (112.5mm)        金海式 中期初頭
0.76〜0.83殷周期の金属素材                                吉武遺跡群[(1996).pdf  - 5次調査 -
弥生中期初頭の   
←城ノ越式小壺(じょうのこし)     
金海式甕棺は共出
            
(左上)
M2木棺墓出土  
ヒスイ句珠
(左下)
M3木棺墓出土  
ヒスイ句珠
支石墓の調査現況と成果.(pdf) p280 吉武高木 標石墓
 
 
M3 標石木棺墓
     標石 1.7×0.8×厚さ0.5m 花崗岩の大型礫
土壙 3.7×2.9×深さ0.9m
木棺 2.6×0.9m


完品の武器形青銅器埋葬は弥生時代中期(BC100-AD100)初頭に北部九州玄界灘沿岸で始まり
金海式甕棺や城ノ越式小壷を伴う
中期初頭から形成された甕棺墓木棺墓からなる墳墓群でも特定の範囲に副葬品の集中する墳墓が集まる
吉武高木遺跡3号標石木棺墓はその代表例で玄界灘沿岸の金海式甕棺分布域の中心に位置する
吉武遺跡群を含む早良平野では複数の武器形青銅器出土遺跡が所在し 平野最奥部にまで及ぶが
前期以来の拠点的な集落遺跡として板付遺跡比恵・那珂遺跡が所在する福岡平野では
例外的に板付田端遺跡が存在するのみ
に留まるのと対照的である
西は宇木汲田遺跡の所在する唐津平野から平戸の里田原遺跡
東は福岡平野の東側に隣接する古賀市域あたりまでが金海式甕棺の分布域
馬渡・束ヶ浦遺跡2次調査E地区2号甕棺墓はその東端の代表例で吉武高木3号木棺墓に遜色のない内容
昌原茶戸里1号墓と通じる割竹形木棺(刳抜式)からの出土例としては宗像市の田熊石畑遺跡
墓制として甕棺墓の広がりがこの段階で確認できない箱式石棺墓が優勢な遠賀川流域から北九州市域
さらには関門海峡を越え梶栗浜でも知られる響灘沿岸の一部
南は唐津平野を遡上して佐賀平野側にも及び
朝鮮半島に対面した玄界灘沿岸地域を中心に 武器形青銅器の埋葬が始まる




 

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吉武大石遺跡 33.537629,130.317982 gsi 1970年代航空写真 view  細形銅矛  銅戈   金海式 㚢界

福岡県福岡市西区飯盛・吉武 墳墓 甕棺墓203+土壙墓13+木棺墓8+祭祀遺構5 (約3,000u) 南西に連なる甕棺ベルトの延長部
弥生中期初頭から中期後半の様式の甕棺墓 -- 遺物を持つ甕棺墓や木棺墓は高木地区と同じ弥生中期初頭から中期前半 --
   
中期初頭 細形銅剣3 細形銅戈2
細形銅矛1 管玉11
剣把頭飾銅器か(片)
中期初頭 細形銅剣1 細形銅戈1
中期 細形銅矛1 細形銅戈1
不明 細形銅剣1
中期初頭 金海式 甕棺墓49
中期初頭 城ノ越式 甕棺墓13+木棺墓4
中期前半 汲田式 甕棺墓22
中期中頃 須玖式 甕棺墓47
中期後半 立岩式 甕棺墓41
●甕棺墓 K01 (細片)細形銅矛1   - 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K10 磨製石鏃1 - 金海式 中期初頭
甕棺墓 K45 細形銅剣1 細形銅矛1 赤色顔料(朱)頭位 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K51 細形銅剣1 碧玉管玉11 赤色顔料(朱)+抱石 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K53 磨製石剣4 細形銅戈1 赤色顔料(朱) 汲田式 中期前半
●甕棺墓 K60 磨製石剣1 - 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K67 細形銅矛1   - 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K70 細形銅戈1   - 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K71 青銅製品1 碧玉管玉38 赤色顔料(朱)(漆?) 汲田式 中期前半
●甕棺墓 K81 磨製石剣1 赤色顔料(朱) 金海式 中期初頭
甕棺墓 K140 細形銅剣1 赤色顔料(朱)上甕 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K141 - 赤色顔料(朱) 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K149 - 赤色顔料(朱)上甕 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K171 - 赤色顔料(ベンガラ) 金海式 中期初頭
●甕棺墓 K181 - 赤色顔料(朱) -
●木棺墓 M01 細形銅剣1 細形銅戈1 - 中期初頭
●木棺墓 M05 細形銅剣1(鞘入) - 中期初頭
●木棺墓 M04 小壺1 - -
●木棺墓 M06 小壺1 - -


 

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吉武樋渡遺跡 吉武樋渡方形台状墓 (ひわたし) 33.539484,130.31865 gsi 1970年代航空写真 wikimapia  㚢界

福岡県福岡市西区吉武
最も早い時期の鉄剣素環頭刀子出土例と 吉武高木から繋がる木棺墓 hiroshima-u
24.5×26.8×高2.5m 弥生方形台状墓 頂部平面10.4x15.3m 特定集団墓
  墓域内に 甕棺墓27+木棺墓1+石棺墓1   墓域周辺に 甕棺墓140以上+木棺墓+石棺墓
「【5C前半代と考えられる樋渡1号墳】の墳丘下に見つかった弥生墳丘墓」との理解が提示されているが
「墳丘墓は古墳の下層にあたる」というよりも
弥生方形台状墓頂部平面には手を加えずに
斜面・裾部分に土盛り・石貼りして ホタテ形状へ変更する墓域整備が後日なされた というべき
方形台状墓墳丘墓ではなく 墳丘の無い墳墓のくくりです  ※墳墓とは広い意味での謂いで+のことです
墳丘とは「被葬体の上部を覆う封土が高まりを呈するもの」であり 「被葬体を載せるマウンド」のことではありません

頂部平面南端直下の弥生後期とされる標石木棺墓M01
             中期末の小型甕棺K64と共に相対的に浅い埋葬がなされている
後に堆積した「表土と考えられる黒色土層(10cm程)を除去した後に検出された」と説明されているが
墓設置時点での墓壙底までの実際の掘り込みはわずかに1.58mである
こうした数値は前期前方後円墳における埋葬深度の平均的な値に近い値なのかもしれない

このM01K64K61 K62 K75 K77は いずれもが方形台状墓頂部平面下からの出土であるが
吉武遺跡群[(1996).pdfに埋葬深度を読みとり得る詳細図が掲載されている

弥生後期+鉄剣(槍先) M01
中期末+素環頭刀子 K64
中期中葉+細形銅剣 K77
中期中葉+鉄剣 K61
中期中葉+細形銅剣 K75
中期後半+素環頭刀子+銘帯鏡 K62
中期後半のK62の墓壙底が
それに遡る中期中葉のK77K61K75よりもさらに深く掘り込まれているところが注目される
K62の墓壙底は復元された弥生方形台状墓の底部平面よりもさらに深いところにある
中期中葉のK77K61K75が2.13-2.43mとやや深めの墓壙底をもつことから
これらの埋葬時の墓域頂部平面は方形台状墓上部平面より1m内外低い位置にあった
と想像することも可能かもしれない
とすれば あるいはこの弥生方形台状墓
K62のために旧墓域に1m内外の封土を盛り上げ成形した弥生方形墳丘墓ということにはなる
■甕棺墓 K75 -2.43 +細形銅剣1(0.8826, 2.1726) +剣把頭飾銅器1(0.8149, 2.0638) 弥生中期中葉
■甕棺墓 K61 -2.14
+鉄剣1 0.76〜0.83殷周期の金属素材  0.87〜0.88漢代の金属素材
■甕棺墓 K77 -2.13 +細形銅剣1(0.8631, 2.1389) (0.8553, 2.1259) +列島産平絹
■甕棺墓 K62


-2.66
m
+弥生素環頭大刀(352mm) 弥生中期後半
星雲鏡の鈕を備えた重圏構成の 単圏文銘帯鏡(83φ
花弁状鈕 「久不相見」(0.8739, 2.1596)
  ×星雲鏡 三雲南小路 峰畑遺跡 茶戸里1号→前漢鏡
○日光銘
○日光銘
単圏文
重圏
銘帯鏡
銘帯鏡
   吉野ヶ里南内郭(74φ)岡本B(79φ)
立岩#34(49φ)立岩#39(72φ)
■甕棺墓 K64 -1.78 +弥生素環頭刀子(224mm) 弥生中期末
■木棺墓 M01 -1.58 +標石+鉄剣(槍先)1
+(碧玉+輝緑凝灰岩)管玉14+ガラス小玉36+ 水晶算盤球2
弥生後期
■甕棺墓 K79 - +朱(下甕に赤色顔料が多量に残る) 弥生中期
■甕棺墓 K05 - +鉄剣1+弥生鉄鏃1+列島産平絹 弥生中期末
 
茶戸里1号 --φ 慶尚南道義昌郡
密陽校洞 98.5φ 慶尚南道密陽市
三雲南小路 K2 74φ 福岡県糸島市
吉武樋渡 K62 83φ 福岡市西区
二日市峰畑 103φ 福岡県筑紫野市
須玖岡本 165φ 福岡県春日市
156φ
156φ
156φ
破片
御殿山古墳 123φ 群馬県前橋市
星雲鏡出土地
K64     K62
(224mm) (352mm) 




吉武遺跡群[(1996).pdf


吉武高木遺跡 33.537334,130.318863

吉武遺跡群弥生時代遺構配置図 33.536495,130.319305


吉武高木遺跡 大型建物跡 33.537568,130.319635 view




 

都地の小字が残存 33.535850,130.31855 gsi 1970年代航空写真  早良map 淡海map 㚢界

「居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衞」
「とぢ」と読まれるが 「ついち」とも読むらしい
一般県道560号線は「都地姪浜線」という
「ついち」と読むのは もとのが「都壹」とか「十市」とかなのでしょうか
吉武高木遺跡群の北側室見川左岸には海岸に至るまで「壱岐」地名が広がる
  • 生の松原海水浴場
  • 元寇防塁(生の松原地区)
  • 生の松原海岸森林公園
  • 壱岐神社
  • 生の松原
  • 生ノ松原緑地
  • 生松台
  • 壱岐団地
  • 壱岐公園
  • 壱岐保育園
  • 壱岐幼稚園
  • 壱岐小学校
  • 壱岐中学校
  • 壱岐東小学校
  • 壱岐南小学校
  • 壱岐丘中学校
  • 壱岐出張所(消防局)
  • 壱岐郵便局
  • 壱岐交番
  • 壱岐公民館
  • 壱岐東公民館
3世紀における早良平野の地域呼称は【伊支】[yi-qi][ゅいき・ゅいち]でしょうか
分岐を意味する【支】からすると【伊支】は【伊】の拡張活動による産物で
【伊】=【壹】=【壱】=【一】であれば 【一大國】に対するその出先の【伊支】の意味
一貴山銚子塚で知られる三雲の西側の地域も[yi-qi]と呼ばれていたらしいが天降神社があったりもする
【邪馬壹國女王】の名の【壹與】は【壹の血筋を受け継ぐ者】という意味にも読み取り得る
都地遺跡  










 
初期の武器形青銅器埋葬 関連遺跡 (BC2C末〜AD1C初頭) 青銅器一括隠蔽遺跡@ (1C
青銅器一括隠蔽遺跡A (2C末〜3C初頭
広形銅矛+中広形銅矛(AD1C後半-AD3C初頭)
 
  
 

片野山遺跡 33.504216,130.528109  一括退蔵  銅戈  
1970年代航空写真 色別標高図 wikimapia 㚢界

  福岡県太宰府市片野
福岡県太宰府市南
付近は福岡平野と筑後平野の分水嶺にあたる
太宰府片野山 銅戈出土地
 青銅器一括退蔵遺跡 
1784出土
+中広銅戈11
 

検見谷遺跡 33.338797,130.464208  一括退蔵  local map
1980年代末航空写真 色別標高図 wikimapia

  佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字一の幡
佐賀県三養基郡みやき町白壁
背振山地南麓から白壁地区に向かって延びる丘陵の西側
谷の最奥部 南へ入り込む小支谷の斜面上
標高約24メートルの場所

 青銅器一括退蔵遺跡  (青銅器一括隠蔽遺跡) 
弥生後期
+中広銅矛12
筑豊 田川郡 宮山遺跡 銅戈 8
筑前 博多区 住吉神社付近 中細銅戈 6
春日市 岡本辻遺跡 広形銅矛 9
バンジャク遺跡 細形銅剣 10
銅矛 1
岡本町5丁目遺跡 中広銅矛 1+8
小倉西方遺跡 中広銅矛 10+2
原町遺跡 銅戈 48+1
紅葉ヶ丘遺跡 中広銅戈 27
筑紫郡 原田遺跡 広形銅矛 12
太宰府市 片野山遺跡 中広銅戈 11
筑紫野市 隈・西小田遺跡7 銅戈 23
筑後 八女市 野間遺跡 広形銅矛 13
肥前 三養基郡 検見谷遺跡 中広銅矛 12
 
対馬 豊玉町 大綱遺跡 中広銅矛 12
佐志賀黒島遺跡 広形銅矛 15
厳原町 増田山遺跡 広形銅矛 8
隠岐 海士町 竹田遺跡 中細銅剣 1
出雲 出雲市 荒神谷遺跡 中細銅剣 358
中細銅矛 2
中広銅矛 14
銅鐸 T 1
銅鐸 U 5
雲南市 加茂岩倉遺跡 銅鐸 U 30
銅鐸 V 9
 
豊後 速見郡日出町 真那井尾首山 広形銅矛 7
豊後高田市 来縄 広形銅矛 12-13
臼杵市伊村 坊主山 広形銅矛 7
伊予 西予市宇和町 大窪台 広形銅矛 10+
土佐 高岡郡 西の川口B 広形銅矛 4
南国市田村 田村遺跡 広形銅矛 5
紀伊 有田市 上ノ段 樋分離形銅戈 6
信濃 中野市 柳沢遺跡 細形銅戈 1
中細銅戈 7